1993年4月から8月にかけて、埼玉県北部で犬の繁殖・販売業を営む元夫婦らにより、3件、4人の男女が次々と毒殺される事件「愛犬家連続殺人事件」――正式名称「埼玉愛犬家等連続殺人・死体損壊・遺棄事件」が起きた。
【衝撃画像】死体はまな板の上で切り刻まれ、肉や内臓は袋に入れられ…男女4人がバラバラに解体された“現場写真”を見る
徹底して死体を損壊・消滅させることに執着した犯人らは、遺体をバラバラに解体し、切り刻み、焼いた上で、無残にも山林や川に撒き棄てた。主犯の元夫婦は逮捕され、2009年に死刑判決が確定した。
当時、世間の耳目を集めた前代未聞の「死体なき連続殺人事件」は、どのような捜査が行われていたのか。犯人らが及んだ凶行の実態とは――。
ここでは、「愛犬家連続殺人事件」の捜査を担当した伝説の捜査官・貫田晋次郎氏の著書 『沈黙の咆哮』 (毎日新聞出版)より一部を抜粋。遺骨の一部が発見されたときの状況を貫田氏が振り返る。(全3回の1回目/ 2回目に続く )
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重要参考人が「死体や所持品を遺棄した」という現場
1994(平成6)年12月13日。埼玉県北部の行田(ぎょうだ)市は、朝からぐずついた天気だった。降ったりやんだりの冷たい小雨に気をもむ。これから目指す山の気温は、さらに数度低いはずだ。雪に変われば、瞬く間に積もる。なんとか持ちこたえてくれ……。
そんな思いもむなしく、向かった先の群馬県・片品(かたしな)村は、時折降るみぞれが、今にも雪に変わりそうな気配だった。表向きは、長く進展も動きもない捜査だった。しかし、水面下で事態は刻々と動いていた。
それが一気に加速した。保秘と迅速を最優先に急遽体制を組んだ一行8人は、“重要参考人”の島崎(仮名)の案内で、3台の車に分乗し山道を進んだ。
それまで逡巡を繰り返していた島崎が一部事件への関与を認め、そのあらましを口にしたのはわずか5日前。そしてついに「焼毀(しょうき)した死体や所持品」の遺棄現場を語ったのは昨日のことである。
とはいえ、島崎の供述の信用性を担保するものは何もなかった。「骨を出す」と言って、まったく別の場所を案内することもできる。