歌舞伎界の重鎮、市川團十郎が7月12日、自身のYouTubeチャンネルを更新し、大ヒット公開中の映画『国宝』について率直な感想と歌舞伎への深い想いを明かしました。公開からわずか31日で観客動員数319万人、興行収入44.8億円を突破し、50億円突破も確実視されるこの社会現象とも言える作品は、團十郎にとっても大きな刺激となったようです。彼の言葉からは、一人の歌舞伎役者として、また伝統を継承する者としての苦悩と喜びがにじみ出ています。
歌舞伎への真摯な姿勢を評価:李相日監督と吉沢亮への称賛
市川團十郎は、映画『国宝』を鑑賞後、李相日監督の作品にかける情熱と、主演の吉沢亮が歌舞伎という伝統芸能に真剣に向き合った姿勢を高く評価しました。特に、吉沢亮が演じる主人公・喜久雄が、歌舞伎の家に生まれながらも御曹司である俊介(横浜流星)を差し置いて大抜擢されるシーンは、彼の心に深く刻まれたと言います。これは単なる役者の演技に対する称賛にとどまらず、歌舞伎という厳しくも美しい世界を映像で描き出すことへの、作り手側の誠意に対する敬意が込められています。
歌舞伎役者市川團十郎が映画『国宝』について語る様子
伝統を「盗む」痛み:市川家を継ぐ者の視点
團十郎は、自身が「市川團十郎家を父から預かっている」という立場と重ね合わせ、喜久雄に伝統を「盗まれる側」である俊介の視点で映画を観ていたことを明かしました。劇中の「全部盗むのか」「てめぇふざけんなよ」というセリフは「本音」であると指摘し、「盗まれる側としてその気持ちが『痛かった』」と率直な胸の内を語っています。これは、血筋によって歌舞伎の世界に生まれた者が背負う重責と、外部から才能が流入する際の葛藤を、現役の歌舞伎俳優として生々しく表現した李監督への感謝の言葉でもありました。歌舞伎の奥深さ、そして伝統芸能の継承における複雑な人間関係が、映画を通じてリアルに描かれていることに感銘を受けたようです。
歌舞伎の世界観と狂気の表現:『ジョーカー』との比較
映画のハイライトの一つである、屋上で吉沢亮が見せた“狂気のシーン”について、團十郎は独特の見解を示しました。彼はこのシーンに海外映画『ジョーカー』のような精神的深みを感じ取ったと語っています。「歌舞伎って、天使のような神様もいれば魔物もいる。そのはざまにある世界観が、この映画にはしっかり描かれていた」と指摘。また、『ジョーカー』で主人公がピエロの顔からジョーカーの顔へと“変容”していく様に触れ、「あの“変容”に似た感覚が『国宝』の中にも確かにあったんです」と振り返りました。演者としてだけでなく、一人の表現者としての視点も交えながら、「もし自分が撮るなら、ああいうふうに表現してみたいと思った」と、映像の力に強く感銘を受けた様子でした。
團十郎が語る厳しき修行時代:骨格が変わる日々
さらに、作中には子役時代の喜久雄が渡辺謙演じる俊介の父親から厳しくしごかれるシーンも描かれていましたが、團十郎は自身の幼少期を思い出し「僕の時代はもっと厳しかった。骨の骨格が変わるような日々だった」と語りました。これは、歌舞伎という伝統を支えるための、想像を絶するような厳しい修行の日々があったことを示唆しており、映画が描く世界が、彼自身の経験と重なる部分が少なくなかったことを物語っています。
歌舞伎への新たな関心への期待
映画『国宝』から大きな刺激を受けた市川團十郎は、最後に「この映画をきっかけに歌舞伎に興味を持つ方が増えてくれたら嬉しい」と、未来への期待を語りました。「今も歌舞伎が楽しい」と語る彼の言葉からは、作品がもたらした刺激に感謝しつつ、改めて歌舞伎の魅力を伝えることへの熱意が感じられます。彼は、この映画を観た人々が再び劇場に足を運ぶきっかけとなることを強く願っており、日本の伝統芸能である歌舞伎のさらなる発展に寄与することを誓っています。
参考文献