「坊主丸儲け」は過去の話。経済基盤の弱い寺から順番に淘汰が進む深刻な未来。実は仏教に清貧の思想はない? 手放すのはお金でなく執着。


■お坊さんにも、お金の悩みはある

 私たちの悩みには、大きく分けて2つの方向性があります。「何をしていいかわからない」と「どうしていいかわからない」です。

 なぜなら現代においては、生きることとお金とが固く結びついているからです。みなさんも「お金さえあればなんとかなる」と、きっと思われているはずです。

 仏教を修めたお坊さんが、お金の悩みから解放されているかといえば、そんなことはありません。お金の悩みだらけです。例えば、浄土真宗はお寺の平均収入を出していますが、それを見るとお寺そのものの収益というのは平均300万円ほどと言われています。

 この先、人々から信仰がさらに失われれば、お葬式や法事も縮小していくでしょうから、経済基盤の弱いお寺から順番に朽ちていくことになるでしょう。

 現実的な面でいえば、お寺は普通の家とは違うので、「この扉を変えよう」といってホームセンターで買ってくるわけにはいきません。瓦(かわら)が使われている屋根の雨漏りの修繕に1000万円を用意しなければならないなど、維持するだけでも簡単ではありません。

■人はストイックな姿勢に心を打たれる

 私がこのように、お金の話をすると非常に嫌がる方がおられます。そういった方というのは、どうやら僧侶に「清貧であってほしい」と思われているようです。その気持ちもわからないではないのですが、実は仏教に清貧の思想はありません。



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