日産追浜工場の閉鎖と未来:エスピノーサ社長の再建計画と跡地利用の課題

日産の新社長イヴァン・エスピノーサ氏(46)は、深刻な経営状況を打開するため、大胆な再建計画「Re:Nissan」を推進しています。その中核をなす決定の一つが、歴史ある追浜工場の生産終了と、それに伴う広大な敷地の跡地利用問題です。この動きは、日本の自動車産業、ひいてはものづくり全体の未来に暗い影を落とす可能性を秘めています。

経営再建計画「Re:Nissan」と追浜工場の役割終焉

エスピノーサ社長は5月13日、総額6809億円もの最終赤字を計上した2025年3月期決算発表と同時に、新たな経営再建計画「Re:Nissan」を発表しました。この計画では、現在17ある車両生産工場を10に統廃合する方針が示されており、追浜工場での生産終了はその具体的な一環です。日産は長らく、実際の販売台数と比べて製造能力が過剰な「過剰生産能力」の状態にあり、これが工場の維持管理費や人件費を圧迫し、収益悪化の大きな要因となっていました。エスピノーサ社長は、追浜工場の生産終了という苦渋の決断について、「極めて大きな痛みを伴うが、この厳しい経営状況から脱して再び成長していくためには、やらなければならないことだ」と語り、その必要性を強調しました。

日産の新社長エスピノーサ氏、経営再建計画「Re:Nissan」の一環として追浜工場での生産終了を発表する会見の様子日産の新社長エスピノーサ氏、経営再建計画「Re:Nissan」の一環として追浜工場での生産終了を発表する会見の様子

追浜工場は、戦前に日本海軍の航空基地があった地に、戦後米軍から払い下げを受けて建設されました。日本のモータリゼーションの到来を見越して1961年に操業を開始したこの工場は、乗用車専用工場として、日産の象徴とも言える「ブルーバード」や「セドリック」といった名車を世に送り出してきました。また、専用埠頭も設けられ、輸出拠点としても機能するなど、トヨタ自動車の元町工場と並び、日本の自動車産業の中核を支え、高度経済成長期のモータリゼーションを牽引してきた重要な拠点でした。長年自動車産業を取材してきたジャーナリストからは、追浜工場の事実上の閉鎖に、一つの時代の終焉を感じるとの声も上がっています。

日本のものづくりと追浜工場跡地の課題

今回の追浜工場の生産終了は、単なる一企業の工場閉鎖に留まらず、日本の基幹産業である自動車産業の未来に深刻な問いを投げかけています。過去30年を見れば、日本の自動車メーカーは海外生産を拡大する一方で、国内生産は縮小の一途を辿ってきました。しかし、国内の生産拠点が減ることは、多数の下請け企業への打撃だけでなく、将来的には日本が誇るものづくりのノウハウ自体が国内から失われるリスクをはらんでいます。こうした事態を避けるため、業績が好調なトヨタは、「石にかじりついてでも国内生産300万台体制を維持する」という方針を堅持しています。

しかし、歴史上3番目の大赤字を計上し、経営状況が悪化している日産には、国内の生産拠点を維持する余裕がもはやありません。「ゴーン事件」後の2020年3月期、2021年3月期と2期連続で最終赤字に陥った際にも「過剰生産能力」が業績悪化の一因とされ、追浜工場の閉鎖案が浮上しましたが、当時は製造部門の役員の猛反対により立ち消えとなっていました。

今後、最も注目されるのが、追浜工場跡地の具体的な利用方法です。資金繰りが決して楽ではない日産としては、この広大な資産をできるだけ早くキャッシュに変えたい意向が強いと見られています。関係筋からは、カジノ運営で知られる米国のIR企業への売却情報も浮上しており、エスピノーサ社長はこれについて、「詳細は守秘義務があるので言えないが、資産売却や用途の変更を検討しており、複数の相手と話し合っている」と説明しています。しかし、日産元幹部からは、跡地利用に際して「米軍が投下した不発弾が埋まっている可能性が高い」といった潜在的な問題点も指摘されており、その実現には様々な課題が横たわっています。

結び

日産の追浜工場閉鎖は、過去の栄光と現在の厳しい現実を映し出す象徴的な出来事です。過剰生産能力の是正は、再建に向けた避けられない道ではありますが、長年日本のモータリゼーションを支えてきた拠点の役割終焉は、日本経済とものづくり文化にとって大きな転換点となるでしょう。跡地利用を巡る課題は多岐にわたり、日産の未来だけでなく、地域経済、ひいては日本全体の産業構造にも影響を与える可能性があります。今後の動向が注目されます。

参考資料