やなせたかしと暢、朝ドラ『あんぱん』に隠された真実:越尾正子氏が語る“ハチキン”な妻の素顔と夫婦の絆

NHK連続テレビ小説『あんぱん』は、『アンパンマン』の生みの親として知られるやなせたかしと、その妻・暢の半生をモデルに描かれ、その詳細に注目が集まっています。長年にわたり夫妻と親交のあったやなせスタジオ代表の越尾正子氏は、「本当にお二人の人生は“ドラマ”みたいでした」と語り、知られざる夫婦の素顔と、特に暢さんの強くしなやかな生き様「ハチキン」について貴重な証言をしました。越尾氏の記憶を紐解きながら、ドラマでは描ききれないリアルなエピソードを通じて、やなせたかし夫妻の深い絆と、時代を越えて愛される作品の源流に迫ります。

朝ドラ『あんぱん』制作秘話と越尾氏の思い

連続テレビ小説『あんぱん』が制作されると聞いた時の越尾氏の率直な感想は、驚きと戸惑いから始まったといいます。高知県が舞台の作品が立て続けに選ばれることに意外の念を抱き、発表されるまでの長い秘密保持期間には「秘密疲れ」を感じるほどだったと明かしました。しかし、暢さんと茶道のお稽古を通じて知り合い、平成初期まで共に過ごしてきた越尾氏にとって、暢さんの生き方はまさに「ドラマになってもいい」と感じるものであり、今回のドラマ化を心から喜んでいます。特に、朝ドラという形式は全く予想していなかったものの、その人生が広く知られる機会を得たことに意義を感じているようです。

暢の波乱に満ちた人生と“ハチキン”の真髄

越尾氏が暢さんの人生を「ドラマチック」と感じる理由は、彼女のたくましくも波乱に満ちた生き方にあります。やなせ先生と同様に幼くして父親を亡くし、長女として一家を支える強い責任感を抱いて学生時代を過ごしました。そして、多感な青年期には第二次世界大戦という極めて困難な時代を経験し、それを生き抜いてきた背景があります。当時の女性としては異例とも言えるほどの「たくましさ」を示すエピソードが数多く存在し、決して平穏ではない厳しい道を歩んできたことが伺えます。越尾氏は、暢さんのそのような強さが、高知の女性にしばしば見られる「ハチキン」(男勝りでしっかり者、芯が強い女性)という気質そのものであったと語ります。

やなせスタジオ代表 越尾正子氏が笑顔で語る様子。朝ドラ『あんぱん』の暢さんのモデルに関するインタビュー風景。やなせスタジオ代表 越尾正子氏が笑顔で語る様子。朝ドラ『あんぱん』の暢さんのモデルに関するインタビュー風景。

越尾氏が特に印象に残っているのは、暢さんの「気持ちのいい女性」としての側面です。相手を立てるべき場面ではきちんと立てつつも、権力者の理不尽な振る舞いに対しては「それは間違っている」と毅然と意見する芯の強さを持っていました。越尾氏自身の仕事上のミスに対しても、「こうした方がいいわよ」と優しく導いてくれる一方で、厳しく叱責されることは一度もなかったといいます。さらに、越尾氏がやなせスタジオで働き始めた際、暢さんから通帳や実印、金庫の鍵とその暗証番号まで「これ、お願いね」と託されたエピソードは、彼女の人間に対する深い信頼と寛大さを示しています。越尾氏が「もし私が悪い人だったらどうしますか?」と尋ねると、暢さんは「もしあなたが悪い人だったら、自分に見る目がなかったと思って諦めるわ」と答えたといい、その言葉はまさに「ハチキン」と称される所以であり、越尾氏が暢さん以外にそのような人物に出会ったことがないほどの稀有な人柄を物語っています。

俳優陣の再現度とやなせ夫妻の絆

『あんぱん』で暢役を演じる今田美桜の演技について、越尾氏は当初、その若さに驚きを隠せなかったものの、映像で見る今田さんの演技からは、実際に暢さんが見せていたような雰囲気や表情が感じられ、「さすがは俳優さん」と感銘を受けています。また、初回放送の冒頭で登場した晩年のやなせ先生役の北村匠海については、「デスクに向かっている姿はそっくり」と絶賛。肌の艶こそテレビ映りの違いはあるものの、その再現度の高さに「ハッとするくらい似ていた」と語り、仕事場の雰囲気も忠実に再現されていることに驚きを示しました。

やなせたかしと暢の夫婦関係は、互いを深く尊重し、独立性を認め合う独特のものでした。高知名産の柑橘「小夏」を巡るエピソードは、その関係性を象徴しています。やなせ先生が「正しい食べ方」として皮をリンゴのように剥いてみせる一方で、暢さんは自分のやり方でみかんのように食べるのを好み、先生はそれを咎めることはありませんでした。先生は第三者には「正しいのは僕の方だ」と言いつつも、妻に食べ方を変えろとは言わない。この小さなやり取りの中に、互いの個性を認め合う夫婦の理想的な姿が見て取れます。

仕事に関して、暢さんは「口出ししたくなるから仕事場には行かない」というスタンスを貫いていました。これは、自分が介入することで夫の仕事に支障が出ることを避けるための配慮であり、やなせ先生も細かい仕事のことは妻に一切話さず、自ら受注し、一人で仕事をこなしていました。しかし、『見上げてごらん夜の星を』のミュージカルが大成功した際には妻を大阪に呼び、個展を開く際には「見に来なさい」と声をかけるなど、成果を見せる場には積極的に妻を招いていました。このように、互いの領域を尊重しつつも、大切な場面では共有し、喜びを分かち合う、やなせたかし夫妻ならではの深い絆がそこにはありました。

結論

越尾正子氏の証言を通じて、NHK連続テレビ小説『あんぱん』で描かれるやなせたかしと暢の物語が、単なるフィクションではなく、知られざる深い真実と夫婦の絆に根差していることが明らかになりました。特に、暢さんの「ハチキン」と呼ばれる強くしなやかな精神、そして人に対する深い信頼と寛大さは、多くの困難を乗り越える原動力となり、やなせ夫妻のユニークでありながらも互いを尊重し合った関係性の礎となりました。

『あんぱん』は、ただ成功した作家の半生を描くだけでなく、その裏にあった一人の女性のたくましい生き様と、夫婦の相互理解の尊さを私たちに教えてくれます。この物語は、視聴者にとっても、人生における「強さ」と「優しさ」、そして「絆」の意味を深く考えるきっかけとなるでしょう。越尾氏の貴重な証言は、ドラマにさらなる深みとリアリティを与え、より多くの人々がやなせたかし夫妻の人生に感動し、その魅力に触れる機会となるはずです。

参考文献