イスラム教における「偶像崇拝の禁止」は、その信仰体系の根幹をなす特徴の一つです。魂を持つとされる人間や動物の姿を描くことは、時に神への挑戦と見なされることもありました。しかし、歴史的にイスラム世界で絵画が全く描かれなかったわけではなく、現代では世俗的な絵画に対する忌避感はほとんどありません。本稿では、九州大学大学院准教授の小笠原弘幸氏の著書『オスマン帝国の肖像 絵画で読む六〇〇年史』(角川新書)の内容を基に、イスラム教における偶像崇拝禁止の理由を深掘りし、ユダヤ教やキリスト教との比較を通じて、その多層的な側面を解説します。
イスラム教における厳格な偶像崇拝禁止とその背景
イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と同じく、唯一神アッラーを崇拝する一神教の系譜に属しています。預言者ムハンマドは、神の似姿を造り拝むことを厳しく禁じました。彼はメッカを征服した際、それまで聖地カアバ神殿に納められていた多神教の神像を自ら打ち壊したと伝えられています(ただし、マリアとイエス・キリストの聖母子像だけは認めたという伝承もあります)。
このような経緯から、イスラム寺院であるモスクには、神はもちろんのこと、預言者ムハンマドや聖者を含むいかなる人物の絵や彫像も一切存在しません。その代わり、モスク内部は、イスラム幾何学模様や、特に「アラベスク」と呼ばれる曲線的な草木文様で装飾されるのが一般的です。これらは神の無限性や美を象徴し、精神的な集中を促す役割を果たします。
もちろん、偶像崇拝の禁止はイスラム教に特有の教えではありません。ユダヤ教においても同様の厳格な掟があります。ユダヤ教の礼拝施設であるシナゴーグもまた、モスクと同様に一切の具象表現を排し、幾何学的な文様で飾られています。ただし、7世紀頃までは聖書の場面が壁や床に描かれることもあったという歴史的例外も存在します。
イスラム教のモスク内で静かに祈る人物。偶像崇拝が禁止された空間における精神性の探求
キリスト教の「聖像」が許容された理由と神学的解釈
本来、キリスト教も偶像崇拝を禁じる戒律を持っています。旧約聖書の十戒にも「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」という記述があります。しかし、布教活動においてイエス・キリストの似姿を用いることが大きな利点となると認識されたため、キリスト教世界では聖画像の制作と使用が徐々に容認されていきました。その結果、ヨーロッパの教会では、イエス・キリスト、聖母マリア、あるいは聖者たちの聖画像が数多く制作され、教会堂を荘厳に飾るようになりました。
この聖像の容認には、いくつかの神学的な理由付けがなされました。例えば、「イエス・キリストは神であると同時に受肉した存在、つまり人の姿をとったので、その姿を描くことは許される」という解釈があります。また、「物質としての聖画像を崇拝しているのではなく、その聖画像を通して神や聖人を敬っているのだから問題ない」という考え方も広まりました。
とはいえ、すべての具象表現が完全に許容されたわけではありません。特に立体的な丸彫りの彫像は、偶像崇拝に陥りやすいと見なされ、一部の宗派や時代においては避けられる傾向もありました。キリスト教における偶像崇拝の解釈は、イスラム教やユダヤ教のそれと比較して、より柔軟な発展を遂げたと言えるでしょう。
結論
イスラム教における偶像崇拝の禁止は、預言者ムハンマドの教えと行動に深く根ざしたものであり、その信仰の純粋性を保つための重要な原則です。モスクの幾何学的な装飾は、この禁止の精神を象徴しています。一方で、同じ一神教であるユダヤ教も同様に厳格な禁止を貫く中、キリスト教では布教の必要性や神学的な解釈を経て、聖像の制作と利用が広く行われるようになりました。これらの違いは、各宗教がその信仰をいかに表現し、伝播させてきたかの歴史的・文化的背景を浮き彫りにします。現代社会において、これらの宗教的背景を理解することは、世界の多様な文化や価値観を尊重し、より深く世界情勢を理解するための第一歩となるでしょう。
参考資料:
- 小笠原弘幸 著, 『オスマン帝国の肖像 絵画で読む六〇〇年史』, 角川新書, 2023年. (本稿はこの書籍の一部を再編集したものです。)