李舜臣に関する「軍神」東郷平八郎の賛辞は虚構か?その起源を徹底検証

韓国の国民的英雄である忠武公・李舜臣が国にもたらした貢献は、今なお多くの韓国人から深い尊敬を集めています。その尊敬と畏敬の念は時として神話を生み出し、神話の中には真実もあれば、誇張されたり、あるいは虚偽の情報が混じったりすることもあります。不必要な操作や捏造によってその品格が損なわれるとすれば、それは大きな問題です。数ある虚偽の中でも代表的な主張の一つに、「日本の東郷平八郎が李舜臣を称賛した」という虚構があります。本記事では、この言説の真偽とその起源を徹底的に検証します。

世宗文化会館から広がる「東郷平八郎の言葉」

韓国ソウルの世宗文化会館地下2階には、「忠武公の話」という展示空間があり、そこには李舜臣に関する様々な人物の評価が記されています。その中には、このような内容が示されています。「東郷平八郎、日本の提督:賞賛を受けてありがたいのだが、私に言わせればネルソンは軍神ではない。真に軍神の称号を受けるに値する提督がいるとするなら、それは李舜臣だろう」。東郷平八郎は1905年の日露戦争において、対馬海峡でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海軍の司令官であり、「軍神」と称えられた人物です。

忠武公李舜臣の銅像が立つ全羅南道珍島沖のウルドルモク。日露戦争における東郷平八郎の評価にまつわる虚構を検証する歴史記事。忠武公李舜臣の銅像が立つ全羅南道珍島沖のウルドルモク。日露戦争における東郷平八郎の評価にまつわる虚構を検証する歴史記事。

こうした東郷による李舜臣称賛の言説は、1960年代の日本の左翼系書籍にも見られます。例えば、安藤彦太郎他『日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論』(日本朝鮮研究所、1964年)では、東郷が日露戦争での大勝利後に元帥となった祝賀の席で、「ネルソン提督に匹敵すべきあなたは軍神である」と称えられた際、「私に言わせればネルソンというのはそれほどの人物ではない。真に軍神の名に値する提督があるとすれば、それは李舜臣ぐらいのものであろう。李舜臣に比べれば自分は下士官にも値しない」と答えた、と記されています。さらに、韓国国内の各新聞(例: 2022年9月19日付『全南日報』)や個人ブログでも、「東郷平八郎は『海軍の歴史上、軍神と言える提督がいるとしたら、李舜臣将軍ただ一人』と褒めたたえている」といった同様の話が溢れています。これらは韓国人に民族主義的なプライドと快感を与えるエピソードとして広く共有されています。

出典不明な「軍神」発言の謎を追う

しかしながら、これらの話のどこにも、具体的な出典は示されていません。一体いつ、どこで、東郷平八郎がこのような発言をしたのか、その詳細が不明なまま、時期や場所、登場人物を変えながらあたかも事実であるかのように広まっています。真実を検証する上で最も重要な「出典」がないという点が、この言説の信憑性を大きく揺るがせています。

「虚構」の起源は民族主義的学者と記念事業会

驚くべきことに、この発言の始まりは、民族主義の歴史学者である朴殷植(パク・ウンシク)の主張に遡るとされています。そして、彼の主張を「事実」として確定させ、広く普及させる役割を担ったのが、1960年代まで活動していた大韓民国「忠武公記念事業会」でした。この事業会は1948年に申翼煕(シン・イクヒ)、安浩相(アン・ホサン)、李丙燾(イ・ビョンド)、鄭寅普(チョン・インボ)といった著名な人物によって創立されました。このように、特定の民族主義的な背景を持つ団体が、出典の曖昧な言説を「事実」として広めた経緯が明らかになっています。

結論

忠武公・李舜臣への正当な評価と尊敬は、歴史的に見ても当然のことです。しかし、その偉大さを強調するために、不必要な虚構や捏造されたエピソードを用いることは、かえって歴史認識を歪め、人物の品格を損ねる結果に繋がりかねません。「東郷平八郎が李舜臣を称賛した」という言説は、歴史的事実に基づくものではなく、民族主義的な背景を持つ人物や団体によって広められた虚構であることが検証されました。私たちは、真実に基づいた歴史理解を深め、健全な歴史認識を育むことの重要性を再認識する必要があります。

参考文献

  • 安藤彦太郎他『日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論』日本朝鮮研究所、1964年
  • 朝鮮日報日本語版, 「『日本の東郷平八郎が李舜臣をたたえた』は虚構…一体どこが出所なのか」, 2024年7月22日閲覧 (オリジナル記事の参照元)
  • 全南日報, 2022年9月19日付記事 (言及された報道)