神戸のマンションで発生した女性殺害事件は、日本社会に深い衝撃を与えました。オートロック付きの建物、防犯カメラが作動するエレベーター内という「安全なはずの場所」で、見ず知らずの男に襲われ命を落とした女性のニュースは、多くの人、特に女性にとって、日常に潜む見えない恐怖を改めて浮き彫りにしています。本記事では、この事件をきっかけに、作家・北原みのりさんの視点を通して、女性が日々直面する不安、そして「フェミサイド」という根深い社会問題について深く考察します。
エレベーターでの個人的な経験と女性の日常的な警戒
作家・北原みのりさんは、かつてエレベーターで背後から身体を触られた経験以来、見知らぬ男性と二人きりになるエレベーターを避けるようになったといいます。一人で乗っている時に男性が乗り込もうとすると、とっさに用事があるふりをして降りることもあるほどです。しかし、こうした自己防衛の行動は、「自意識過剰だ」「犯罪者扱いされて不快だ」といった他者の批判にさらされる可能性も伴います。女性たちは「逆ギレされたら怖い」という思いから、さりげなさを装うか、不安を抱えながら耐え忍ぶかの選択を迫られます。
エレベーター内で他者と乗り合わせる際の女性の不安を表すイメージ画像
エレベーターに乗るという、たったそれだけの行為にすら緊張感を強いられる状況は、精神的な疲弊をもたらします。北原さんは、こうした「怖い」という気持ちが常にどこかに存在する状況こそが、「この社会で女であるということ」だと指摘しています。女性の安全が脅かされる事例は、特定の場所や状況に限らず、日常のあらゆる場面に潜んでいるのです。
神戸エレベーター女性殺害事件の衝撃
そのような日常の不安が、最悪の形で現実のものとなったのが、神戸のマンションのエレベーター内で発生した女性殺害事件です。まだ人通りの多い午後7時台の都会で、帰宅途中の女性が見ず知らずの男に刺殺されるという、想像を絶する事態が起こりました。被害者と加害者の間に面識は全くなかったと報じられています。この事件は、多くの女性が潜在的に抱いていた「もし自分だったら」という恐怖を、まざまざと突きつけました。
「安全なはずの場所」での暴力:防犯システムを超えた脅威
この事件が特に衝撃的だったのは、被害女性が暮らしていたマンションがオートロック付きであり、エレベーター内には防犯カメラが作動していた点です。実際に、エレベーター内で女性が男に羽交い締めにされている様子を防犯カメラの映像で見た別の住民が通報し、事件が発覚しました。しかし、最新の防犯システムが整っていたにもかかわらず、悲劇は防げませんでした。殺害された女性の恐怖は言うまでもなく、その現場を目撃した女性の心理的ショックも計り知れません。
自宅マンションのエレベーター内ですら安全が保障されないという事実は、「私たち」がどこで、どのように身を守れば良いのかという根源的な問いを突きつけます。この事件は、単なる個別犯罪として片付けられるのではなく、女性に対する暴力、すなわち「フェミサイド」という視点から社会全体で向き合うべき問題であることを示唆しています。
結論
神戸のエレベーター殺害事件は、女性が日常生活の中で直面する見えない恐怖と、それが時にどれほど凶悪な結果をもたらすかを改めて浮き彫りにしました。オートロックや防犯カメラといった物理的な安全対策だけでは、女性を狙った暴力、そしてその背景にある「フェミサイド」という社会構造を根絶することは困難です。私たち一人ひとりが、この根深い問題に対し、個人の警戒だけでなく、社会全体の意識改革と具体的な行動を通じて、女性の安全を守るための議論を深め、「フェミニズム」の視点から解決策を探っていく必要があります。真に安全な社会を築くために、「私たち」は何をすべきなのでしょうか。