野沢直子、ダウンタウン松本人志の「圧倒的才能」と「温かい言葉」に涙の渡米秘話

お笑いタレントの野沢直子が、自身のYouTubeチャンネル「鬼越トマホーク喧嘩チャンネル」で、ダウンタウン松本人志の圧倒的な才能と、1991年の渡米を決断した際の秘話を語った。フジテレビ系伝説的バラエティー番組「夢で逢えたら」での共演が、彼女の芸能人生に大きな影響を与えたことが明らかになった。

「夢で逢えたら」の活気と絆

1988年から放送された「夢で逢えたら」は、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコら、後の日本のお笑い界を牽引するメンバーが集結した画期的な番組だった。野沢は当時の撮影現場を「楽屋が面白い。みんな年齢が同じぐらいで、クラブ活動のようなノリがあった。年上の人が誰もいなくて、とにかく楽しい雰囲気だった」と振り返る。和気あいあいとした空気の中で、新世代のお笑いカルチャーが育まれていった。

松本人志の「圧倒的な才能」

野沢は特に松本人志の才能に衝撃を受けたと述懐する。「私はダウンタウン、特にまっちゃん(松本人志)がすごいと思っていた。本当に抜群に面白かった。コントはもちろん、普段の会話も、何もかもが面白くて」。その才能は他の追随を許さず、野沢は次第に「自分はどこが面白かったんだろう?」と自信を失っていく。「私、本当に他のメンバーを舐めていた。先にテレビに出て知名度もあったから。でも、途中からは(メンバーの)足を引っ張っちゃいけないと思うようになっちゃった」と、才能の差に圧倒された心境を明かした。

ダウンタウンの松本人志。「夢で逢えたら」で野沢直子が才能に圧倒された若き日の姿。ダウンタウンの松本人志。「夢で逢えたら」で野沢直子が才能に圧倒された若き日の姿。

渡米決断と心境の変化

松本の才能に直面し、自己評価が揺らいだ野沢は、「『夢で逢えたら』がきっかけで、私、ダメだ、ダメだって思い始めちゃって。下積みもなく急に売れたから、私には引き出しが全然ないって悩むようになった」と語る。この深刻な悩みが、彼女に新たな道を模索させた。ドラマなどでニューヨークへ行く登場人物に影響を受け、1991年に日本での芸能活動を休止し、渡米を決断するに至った。「それで『夢で逢えたら』も途中で降りたわけ」と、当時の苦渋の決断を打ち明けた。

松本からの感動的な「別れの言葉」

「夢で逢えたら」の最終回、野沢は号泣したという。彼女が番組を去ることで6人から5人になるため、後任を入れるかどうかの会議が行われた際、松本から意外な言葉があったと明かしている。「松本さんが『いや、あいつのことだから、もしかしたら気が変わって帰ってくるかもしれないから。誰も入れないで5人でやろう』って言ってたって聞いて。自分の最終回の時に、すごいブスな顔して泣いた。もう、泣いちゃって、泣いちゃって」と、松本の温かい心遣いに深く感動し、涙が止まらなかったと振り返った。

野沢直子のキャリアにおける転機となった「夢で逢えたら」と、そこでの松本人志との出会いは、彼女に深い影響を与え、その後の人生を形作る重要な要素となった。才能への畏敬と、別れの際に示された深い友情が、彼女の心に今も強く刻まれている。


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