2025年は、日本航空ジャンボ機墜落事故から40年という節目の年を迎えます。この航空史上稀に見る大惨事の現場となった「御巣鷹の尾根」では、遺族と日本航空のOBが長年の恩讐を超え、手を取り合ってボランティア活動に取り組む光景が見られます。ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、この地に息づく「新しい精神文化」のあり方を深く洞察し、現代社会における生と死、そして喪失体験の意味を問いかけます。
御巣鷹の尾根の光景と深い思索
今年5月のはじめ、柔らかな春の陽射しが降り注ぐ深山を訪れました。巨石が転がる渓流に沿った急な登山道を登ると、両側の急斜面を埋める白樺やコナラなどの枝先に開いたばかりの淡い薄緑の葉が、まるで歓迎するかのように煌めいています。群馬県南西部の奥深く、御巣鷹山を包む新緑は一点の濁りもなく、その透明感は神々しいまでに満ち溢れ、まるで天国にいるかのようです。
37年前の1985年8月12日、この山に日本航空のジャンボ機が墜落し、乗客・乗員520人もの尊い命が奪われました。科学技術の粋を集めたジェット旅客機が、なぜこのような大惨事を引き起こしたのか。そして、大切な家族の命を奪われるという苛酷な運命を背負った人々が、その後どのような人生を歩むことになるのか。私自身、容易には解けそうにない宿題を背負ったような気持ちに突き動かされ、折に触れては慰霊登山を続けてきました。
日航ジャンボ機墜落事故現場・御巣鷹の尾根で慰霊活動を行う遺族と関係者
現代に生きる人間の「生と死」、そして「喜びと悲しみ」を、自分自身の目で深く掘り下げて捉えたいという思いで、これまで黙々と取材を重ねてきました。この十数年、私は日航機事故だけでなく、様々な事故や災害の被害者や被災者、つまり苛酷な喪失体験をされた方々の中から、人間の精神性の在り処として非常に重要な「新しい精神文化」の兆しが生まれ始めたと感じています。
喪失体験から生まれる「新しい精神文化」
この「新しい精神文化」とは、悲しみや苦しみを乗り越え、他者との共感を通じて新たな価値観を見出す動きを指します。御巣鷹の尾根で、遺族と元JAL社員が協力し、ボランティアとして慰霊の道を整備する姿は、まさに恩讐を超えた希望の光景であり、この新しい精神文化の象徴と言えるでしょう。彼らが手を取り合うことで生まれる連帯感は、個人の喪失体験を超え、より大きな社会的な意味を持つに至っています。
今年5月はじめ、山開きの報を受け御巣鷹山へ慰霊登山に出かけた際、山を包む新緑のあまりに柔らかな情景に私が神々しさを感じたのは、そうした喪失体験者の中から芽生えた新しい精神文化への強い思いを心の中に漲らせていたからかもしれません。この地は、単なる悲劇の現場ではなく、人間の精神が困難を乗り越え、新たな光を見出す場所として、その存在感を増しているのです。
御巣鷹の尾根で慰霊登山と取材を続けるノンフィクション作家、柳田邦男氏
柳田邦男氏は、長年にわたりこの地に足を運び、深く関わり続ける中で、単なる事件の記録者としてだけでなく、人間精神の奥深さを探求する者として、そのメッセージを発信し続けています。彼の視点からは、日本社会が経験してきた様々な悲劇が、どのように人々の心に影響を与え、そしてどのようにして「新しい精神文化」へと昇華されていくのかが鮮やかに浮かび上がります。
結びに
日航ジャンボ機墜落事故から40年が経過しようとする今、御巣鷹の尾根は、単なる痛ましい事故現場としてだけでなく、深い喪失体験から立ち上がり、未来へと続く「新しい精神文化」が育まれる聖地としての意味を持ち始めています。遺族と日航OBが手を取り合い、ボランティア活動を通じて互いを支え合う姿は、悲劇を乗り越え、共生へと向かう人間の尊い精神性を象徴しています。柳田邦男氏が提唱するこの新しい精神文化は、現代社会が直面する様々な課題に対し、希望と共感の光をもたらす重要な示唆を与えてくれるでしょう。
参考資料
- 文藝春秋2022年9月号より
- Yahoo!ニュース: https://news.yahoo.co.jp/articles/439f13f008c979a954df2e1c70dc71ecb27a2204