ゴダイゴの結成50周年を記念するライブツアーが開催される中、キーボーディストであるミッキー吉野氏(73)が、その壮大な音楽人生を振り返ります。ザ・ゴールデン・カップス脱退後の1970年代初頭、彼はベーシストのスティーブ・フォックスと共にバンド「サンライズ」を結成。その後、音楽の深淵を求めて米国のバークリー音楽院へ留学し、1974年の帰国後、自身の音楽プロデューサーであるジョニー野村氏の紹介で、後にゴダイゴのボーカルとなるタケカワユキヒデ氏と運命的な出会いを果たします。この出会いが、日本そして世界の音楽シーンに大きな足跡を残すゴダイゴ誕生の礎となりました。
タケカワユキヒデとの運命的な出会い:ソロ活動からの転換
タケカワユキヒデ氏との出会いは、ゴダイゴのファーストアルバム「新創世紀」のレコーディング中に起こりました。当初はタケカワ氏のソロアルバムとして企画されていた作品です。タケカワ氏は1975年にシングル「走り去るロマン」でデビューし、同名のアルバムも発表。さらに年内には2枚のシングルをリリースしましたが、ミッキー吉野氏はその当時、「いい曲を書くのに、売れないなあ」というもどかしさを抱いていました。
米国留学から帰国したミッキー吉野氏は、「やはりバンドが楽しい」という思いを強く持ち続けていました。周囲からは音大まで出てなぜまたバンド活動をするのかと問われることもあったと言います。しかし、彼の中には揺るぎない信念がありました。ザ・ゴールデン・カップス時代には英語詞のシングルも発表していましたが、1970年代の日本では日本語詞が主流となる風潮が強まっていました。それでもミッキー氏は、世界を目指すためには英語詞が不可欠であり、ロックミュージックには英語のイントネーションが最も合うと考えていたのです。そして、タケカワ氏のアルバムも全曲が英語詞で構成されており、ミッキー氏は「壁を壊すにはバンドのほうが力が強い。一緒に戦おう」と、タケカワ氏との本格的なタッグを決意しました。
世界を視野に入れた英語詞へのこだわり
ゴダイゴの音楽が世界を視野に入れていたことは、その英語詞への強いこだわりからもうかがえます。ミッキー吉野氏は、タケカワユキヒデ氏の楽曲にはアメリカンポップスやポップロックの要素が色濃く感じられたと振り返ります。彼はタケカワ氏の作曲能力に深く驚嘆し、ザ・ゴールデン・カップスのエディ藩氏がソウルミュージックなどのブラック系音楽に傾倒していたのとは対照的に、タケカワ氏からは「ホワイトなソウルやR&B(リズム&ブルース)の感覚」を見出しました。
ゴダイゴのメンバー、ミッキー吉野(中央)とタケカワユキヒデ(右)らが写る1980年当時の写真
ミッキー吉野氏が米国に留学していた当時、社会にはまだ黒人と白人のクラブが分かれているほどの根深い差別が存在していました。しかし、「イエロー」である彼自身は差別ではなく「単に区別」されていたと語り、黒人系と白人系双方のコミュニティと交流し、共に音楽活動を行うことができた経験を持っています。この経験から、タケカワ氏の持つ多様な音楽性が、そうした文化的・人種的な境界を超えて人々を魅了する可能性を秘めていると確信したのでしょう。英語詞を通して世界に挑戦するというミッキー氏のビジョンと、タケカワ氏の持つ革新的な作曲センスが融合し、ゴダイゴは唯一無二の存在として日本の音楽史に名を刻むことになります。
タケカワユキヒデの作曲センスと多様な音楽性
タケカワユキヒデ氏の作曲能力は、ミッキー吉野氏に強い印象を与えました。その音楽性には、既存のジャンルにとらわれない多様な魅力があったのです。ミッキー氏は、彼の楽曲に感じられたのは、ソウルミュージックの中でも、より洗練された「ホワイトソウル」や「R&B」の感覚であったと述べています。これは、当時の日本の音楽シーンにおいて、新たな潮流を生み出す可能性を秘めた才能でした。
ミッキー吉野氏が米国で体験した音楽活動も、この認識を深める一因となりました。彼は、人種によるクラブの区分があった当時、自身が「イエロー」として両方のコミュニティと交流し、共に音楽を創造する経験を通じて、音楽には境界を越える力があることを実感していました。タケカワ氏の持つ、国境やジャンルの壁を打ち破る作曲センスが、ミッキー氏の抱く「世界を目指す」というビジョンと合致し、ゴダイゴが世界規模で愛される音楽を生み出す原動力となっていったのです。
結論
ミッキー吉野氏の音楽人生は、ザ・ゴールデン・カップスでの輝かしい時代から、米国での深い音楽探求、そしてタケカワユキヒデ氏との出会いを経て、伝説のバンド「ゴダイゴ」を誕生させる壮大な物語です。特に、世界を見据えた英語詞への強いこだわりと、タケカワ氏の類稀な作曲センスが融合したことが、ゴダイゴが日本の枠を超え、国際的な成功を収める上で不可欠な要素となりました。彼らの音楽は、言語や文化の壁を乗り越え、多くの人々に感動を与え続けています。ミッキー吉野氏とゴダイゴの挑戦は、まさに日本の音楽が世界へ羽ばたくための先駆的な一歩であり、その情熱と創造性は現代のアーティストにも大きな示唆を与え続けています。
参考文献
- ゴダイゴ(1980年)写真 news.yahoo.co.jp
- Yahoo!ニュース(新潮)「ミッキー吉野が語るゴダイゴ結成秘話:世界を目指した英語詞とタケカワユキヒデとの出会い」news.yahoo.co.jp