訃報:日テレ菅谷大介アナウンサーが53歳で死去、名実況と膵臓がんとの闘いの軌跡

日本テレビの菅谷大介アナウンサーが11月8日、消化管からの出血のため53歳の若さでこの世を去りました。日本テレビが発表したところによると、菅谷アナは11月7日の夜に勤務を終え帰宅後、体調の異変を訴えて都内の病院に緊急搬送されましたが、その後容態が急変し、翌日の午後に死去したとのことです。視聴者に惜しまれつつ旅立った菅谷アナの、輝かしいキャリアと病との懸命な闘いの軌跡を辿ります。

若き日のキャリアと多岐にわたる活躍

菅谷アナウンサーは国際基督教大学大学院を修了後、1997年に日本テレビに入社しました。同期には後にフリーアナウンサーとなる馬場典子さんがいます。入社以来、バラエティー番組からスポーツ実況、そして『news every.サタデー』などの報道番組のキャスターに至るまで、幅広い分野でその才能を発揮し、多くのお茶の間で親しまれる存在となりました。特にスポーツ実況では、その熱く的確な語り口で数々の名場面を彩ってきました。

平昌五輪での「この瞬間は永遠だー!」伝説の名実況

菅谷アナの名実況として最も強く記憶されているのは、2018年の平昌冬季オリンピック、スピードスケート女子団体パシュート決勝でのものです。日本代表がオランダを相手に金メダルを獲得した際の中継を担当し、その緊迫した展開を次のように伝えて視聴者を引き込みました。「2分50秒ほど先に広がるのは果たしてどんな景色なのか。高木美帆は『この団体パシュートで輝く景色を見たい』そう話しました。金か銀か、決戦のとき」。そして、日本チームがゴールした瞬間に放たれた「この瞬間は永遠だー!」という言葉は、選手たちの栄誉を称えるとともに、多くの人々に深い感動を与え、伝説として語り継がれています。

日テレの番組で活躍し、多くの視聴者に親しまれた菅谷大介アナウンサー日テレの番組で活躍し、多くの視聴者に親しまれた菅谷大介アナウンサー

膵臓がんとの公表と闘病、そして復帰

多くのファンに惜しまれつつも、2022年8月、菅谷アナは自身のSNSを通じて膵臓がんとの闘病中であることを公表しました。彼の病は2021年11月の人間ドックで異変が指摘され、2022年1月の再検査で膵臓がんと診断されたものです。同年4月には腹腔鏡手術を受け、術後は化学療法を受けながらも、アナウンス業務に復帰するなど、前向きな姿勢で病と向き合っていました。彼のSNSでは、がんを公表した2022年8月から最後の更新となった10月26日まで、「#すい臓がん」「#がんサバイバー」といったハッシュタグと共に、治療の経過や日常が綴られていました。

最期の仕事と仲間たちの声、そして日本テレビの追悼コメント

アナウンサーとしての菅谷アナの最後の仕事は、2025年11月2日に行われた男子ゴルフ大会「フォーティネットプレーヤーズカップ」最終日の実況でした。同局関係者によると、菅谷アナはアナウンス部の次長という管理職も務め、アナウンサーたちのシフト管理に携わっており、「この時期は箱根駅伝や高校サッカーの取材でアナウンサーの予定は立て込んでいる」と同僚の体調を気遣いながら職務を全うしていたといいます。しかし、病を患ってからは以前よりも痩せた印象で、体調を優先し会食の回数を減らすなど、自身の健康には人一倍気を配っていたとのことです。

日本テレビは、菅谷アナの突然の訃報に対し、「2022年にすい臓がんを公表して以降も、アナウンサーとしても管理職としても前向きに取り組む姿を直前まで見ていただけに、あまりに突然の訃報に接し、社員一同、ただただ驚くとともに悲しみに包まれております。故人の功績に深く感謝し、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます」とのコメントを発表し、その死を悼みました。

「経験を伝えたい」というアナウンサーとしての強い思い

菅谷アナは生前、「自分の経験をアナウンサーとして伝えていきたい」と周囲に語っていたといいます。自身の病との闘いを公表し、その経験を伝えることで、同じ病に苦しむ人々や社会に何らかのメッセージを届けたいという強い思いがあったことが伺えます。つい数日前まで元気に話していたという彼の突然の死は、多くの人にとって信じがたい出来事であり、深い悲しみと驚きをもたらしました。菅谷大介アナウンサーが残した数々の名実況と、病と闘いながらも前向きに職務を全うしたその姿は、多くの人々の心に永遠に語り継がれていくことでしょう。