【京都新聞】朝鮮学校ヘイトに傷つけられた在日の子どもたち「全員が敵だ」…日本社会に感じた怖さ[12/18]
12/18(水) 19:00配信
2009年12月4日、校門の外で日章旗を掲げた男たちが暴れた。そばの公園から運び出した朝礼台を門扉に打ち当て、引き取りを迫る。「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「スパイの子ども」。拡声器から罵詈(ばり)雑言が響いた。事件の映像は、今も動画投稿サイトに残る。
◇
強暴なヘイトスピーチの存在を世に知らしめた「在日特権を許さない市民の会(在特会)」メンバーらによる朝鮮学校襲撃事件。通学していた在日コリアンの子どもたちは、心に深い傷を負った。事件は4日で発生から10年が経過した。それぞれの、尊厳を取り戻す道のりをたどった。
◇
襲撃された京都朝鮮第一初級学校(京都市南区)には、事件を境に無言電話が続き、周囲でヘイトスピーチ(憎悪表現)を放つデモが相次いだ。児童にはさまざまな反応が出た。拡声器から響く古紙回収の知らせを怖がり、電車に独りで乗ることを嫌がった。夜泣きやおねしょが戻る子もいたという。当時、教務主任だった金志成(キム・チソン)さん(51)は「ヘイトスピーチの標的になっている緊張が常に続き、子どもへ伝わった」と、混乱の日々を振り返った。
襲撃事件当時、京都朝鮮第一初級学校(日本の小学校と幼稚園に相当)には、在校生と交流会で訪れた京都府と滋賀県の朝鮮学校を合わせた約150人の児童がいた。
5年生だった在日コリアン3世の女性(20)は講堂にいた。教員は罵声が子どもたちの耳に届かぬよう、交流会のクイズ大会を大きな声で盛り上げ、窓もカーテンで覆った。
何が起きたのか、女性が知ったのは後日だった。自宅で母(51)と動画投稿サイトの映像を見た。「いいぞ、もっとやれ」「当たり前だ」。露骨な差別動画を支持するコメントが今も脳裏に残る。「日本の人は全員そう思っているんだと感じた」
事件を受け、いつも母と一緒に行くスーパーで「オンマ」と呼ぶことを控えるようになった。朝鮮語で「お母さん」を意味する言葉。「自分たちの存在って、だめな存在なのかな」。芽生えた疑念は中級部(日本の中学校)に上がっても消えなかった。
中級部、高級部へ進学する際、朝鮮学校を去る同級生もいた。女性は葛藤を抱え込んだ。「日本の学校に通いたい。日本人として生きて行くほうが、楽なんじゃないか」。高級部に行っても、動画は吐き気がして直視できなかった。
心がほぐれる転機は、母が勤める南区東九条の介護施設に通い始めたこと。デイサービスを利用する在日コリアンの高齢者たちと出会った。過酷な肉体労働の日々や家族が自殺に追い込まれるほどの生活苦。差別と貧困をくぐり抜けた人生を、ためらいなく話す姿に敬意を感じた。一緒に折り紙やゲームをして笑い合い、「堂々と生きなさい」と励まされる中で、わだかまりは消えていった。朝鮮大学校(東京都)に進学し、実家を離れた後も、帰省すると施設を訪ねた。
今年9月、さいたま市の埼玉会館。女性は、事件を題材にした集会に報告者として招かれた。
「起きてはいけないことだった。悔しい」。女性は両手でマイクを握りしめ、将来の目標を語った。「自らの民族に誇りを持って学べる社会になるように頑張る。在日朝鮮人という生き方から離れていった人を、また戻したい」。聴衆を前に、事件について独りで話すのは初めてだった。
■事件テーマにした舞踊演じ「堂々としないと、自分たちが負ける」
2年生だった卞悠奈(ピョン・ユナ)さん(18)は事件当時、2階の教室にいた。「なんか来た」と、外にいた同級生が驚いて帰ってきた。叫び声は耳に入ったが、状況をよく理解できなかった。
4年生から通学で乗り始めた路線バスの車中では、周囲を恐れてハングルで記された教科書を隠し続けた。京都朝鮮中高級学校(左京区)で舞踊部に入り、4年前に部員12人で事件を題材にした演目に取り組んだ。事件と正面から向き合うのは初めてだった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl? a=20191218-00200703-kyt-l26