物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は11月8日に亡くなった菅谷(すがや)大介さんを取り上げる。
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逸見政孝アナに憧れて
日本テレビのアナウンサー、菅谷(すがや)大介さんは箱根駅伝やプロレスの実況のほか報道やバラエティーでも活躍した。2022年以来、膵臓がんと闘い、亡くなる前日も勤務していた。
日本テレビ出身のフリーアナウンサー、徳光和夫さんはしみじみと語る。
「僕はね、菅谷君の人柄が大好きだった。私より30歳年下ですが、出会えてよかったとつくづく思う。器用なアナウンサーではないけれども、誠実さが語り口ににじみ出ていた。どんなジャンルでも真面目に全力で取り組む。分野が広いのはどのスタッフも菅谷君と仕事をしてみたいと思ったから。嫌みな所がない珍しい男。がんになろうが前向きで変わらなかった」
1971年、千葉県佐倉市生まれ。逸見政孝アナの姿を見て、ニュースを分かりやすく伝えられる人になりたいと憧れた。国際基督教大学大学院を修了、97年、日テレに入る。
最初に担当した番組は、バラエティーの「スーパーJOCKEY」。人気コーナー「熱湯コマーシャル」で、女性タレントに「今日の下着の色と形と材質は」などと答えづらい質問をする役目だった。報道志望の菅谷さんは困惑しつつも練習を繰り返す。
「菅谷君はふざけるのが得意じゃない。でも一生懸命やる。タレントさんはよく人を見ており、菅谷君は愛されキャラ、いじられキャラと認められた。優しいけれど芯がある。本心で相手に接し、敬意もあって信頼されたのです」(徳光さん)
「面白おかしくあおったりしない」
力道山の次男でプロレスラーの百田(ももた)光雄さんは言う。
「試合を忠実に伝えてくれた。面白おかしくあおったりしません。インタビューも選手の状態を気遣い、無理強いなどしない。性格は控えめでも前もってよく調べていて、熱心で丁寧に質問してきた。聞き上手でレスラーも話しやすかった」
プロレス実況の名手と呼ばれた日テレの元アナウンサー、倉持隆夫さんは、
「プロレスは好きでないと伝えられません。目の前の動きを即座に最適な言葉で伝える能力は当然。実況で使う機会はわずかでも、関連する内容を足で取材して放送に臨む必要がある。“先輩として尊敬しています”と菅谷君から連絡をもらったことがあります」






