「台湾有事」を巡る日本の課題:モーリー・ロバートソンが指摘する米中関係と日本の現実

国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏は、『週刊プレイボーイ』の連載コラム「挑発的ニッポン革命計画」にて、高市早苗首相の「台湾有事」に関する国会答弁が引き起こした議論について考察しています。この議論は、日本が直面する安全保障上の複雑な現実と、変動する国際情勢における日本の立ち位置を浮き彫りにしています。

「台湾有事は日本有事」という認識は、日米同盟の論理や西側民主主義陣営のルールに照らせば、日本側から見て「正しい主張」であると言えるでしょう。しかし、ロバートソン氏は、多くの日本人が直視できていない厳しい現実が存在すると指摘しています。

国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏

シミュレーションが示す日本の”戦場化”の可能性

仮に中国軍が台湾周辺海域を封鎖し、米軍が介入した場合、日本はどのような状況に陥るのでしょうか。アメリカの安全保障シンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)のシミュレーションによれば、米軍は日本国内の基地から出撃することが想定されています。この場合、中国軍は米軍の介入を確信した時点で、嘉手納・普天間(沖縄)、佐世保(長崎)、横須賀(神奈川)、三沢(青森)などの在日米軍基地に対し、極超音速ミサイルを含む集中的なミサイル攻撃を行う可能性が高いとされています。これにより、一部の自衛隊施設も標的となり、日本全国が”戦場”と化す危険性があります。

さらに、このシナリオの中には、米海軍の原子力空母が集中砲火を受け、原子炉が制御不能となって日本近海に沈没するという描写さえ存在します。これは、私たちが想像する以上に戦争の現実は複雑で過酷であり、単なる「正しい認識」だけでは対処しきれない局面が訪れる可能性を示唆しています。日本政府、メディア、そして国民は、パニックや思考停止に陥ることなく、このような極限状況で最善の判断を下すことができるかが問われることになります。

揺らぐ日米同盟の足元:「アメリカ・オンリー」の台頭

これまで「台湾有事は日本有事」という想定は、堅固な日米同盟と、台湾および日本にとってのアメリカという後ろ盾を大前提としてきました。しかし、その足元が現在、大きく揺らいでいるとロバートソン氏は警鐘を鳴らしています。

アメリカ国内では、かつての「アメリカ・ファースト」からさらに先鋭化した「アメリカ・オンリー」というMAGA運動が内部分裂しつつあります。その代表格であるマージョリー・テイラー・グリーン下院議員らは、ウクライナ、イスラエル、台湾、そして日本に対しても一切の支援を行わないという実に明快な主張を展開しています。この声に煽られ、共和党の主要な支持層であるキリスト教福音派でさえ、「なぜユダヤ人のために我々の税金が使われるのか」と、イスラエル支援に懐疑的な見方を強めています。

アメリカ政治における”聖域”とされてきたイスラエルに対する支援でさえ疑問視される現状において、日本や台湾を守る義務を感じるはずがないという世論が形成される可能性は十分に考えられます。もし台湾有事が現実味を帯びた場合、「なぜアメリカの若者がアジアのために血を流す必要があるのか」という世論が沸騰することは想像に難くありません。この米国内の潮流は、日米同盟の基盤を根本から揺るがす深刻な問題です。

中国の戦略的視点とトランプ政権の示唆

当然ながら、中国はこうしたアメリカ国内の潮流を見過ごすことはないでしょう。習近平国家主席の目には現在、トランプ政権が「扱いやすい交渉相手」として映っている可能性も指摘されています。

実際、ドナルド・トランプ前大統領は最近になって、米中が世界を分割して管理する「G2」体制の構想をほのめかしました。さらに、FOXニュースのインタビューでは、「貿易では中国以上に、同盟国(日本)がアメリカを食い物にしている」とまで発言しています。これは、日本が中国に対し「正論」をぶつけ、緊張を高めているその隣で、米中が水面下で「握っている」かもしれないという極めて不穏な構図を示唆しています。このような状況においては、トランプ大統領が交渉材料として日本や台湾を「差し出す」可能性も否定できないとロバートソン氏は指摘します。

求められる「正論」を超えた「現実」直視

アメリカにはしごを外されて孤立する、あるいはアメリカと共に戦い、国内を含め甚大な被害を被る。どちらのシナリオも日本にとっては極めて厳しいものです。

だからこそ今、日本に求められているのは、「台湾有事は日本有事」という「正論」の是非をただ叫ぶことではなく、国際社会の変動とアメリカ国内の政治的現実という「現実」に真摯に目を向けることだとモーリー・ロバートソン氏は結論付けています。感情論や理想論に囚われず、冷静かつ多角的に日本の安全保障を再構築する視点が不可欠であると言えるでしょう。