「亡くなった人の分まで前を向いて生きていく。見守っていてください」
東日本大震災から9年を迎えた11日、津波で夫と次女、両親を失った福島県南相馬市の田村江久子(えくこ)さん(62)は市の追悼式で、こう呼びかけた。
「おかあの作ったマドレーヌがおいしかったから」。次女の美咲さん=当時(17)=は中学生のとき、将来はパティシエになりたいと江久子さんに夢を明かした。「それしかつくれないのに」。照れくさく、うれしかった。
県立相馬農業高校の食品科学科に進学し、本格的にお菓子作りを学び始めた美咲さんは、バレンタインデーになると友達に配るマドレーヌ作りを江久子さんに頼んだ。
江久子さんは逆に職場で配るチョコレート作りを美咲さんに頼み、家中が甘い匂いで満たされた。同居する母のスサエさん=同(78)=がキッチンにやってきて「(私の)食うのあんのか」と尋ねると、2人で「形が崩れちゃったやつをあげる」と笑い合った。そんな笑顔にあふれる生活を、津波は家ごと押し流した。
市内の職場にいた江久子さんは、大きな揺れが収まるとすぐに自宅へ連絡。自宅に戻っていた夫の充さん=同(56)=と連絡が取れた。美咲さんも休みで自宅におり、充さんは「家にいるよ」と話した。
だが、直後に襲った津波は海からほど近い自宅を瞬く間に飲み込んだ。美咲さんと充さん、スサエさんの遺体は浜辺や川のそばなど別々の場所で発見された。同居していた父の勝美さん=同(82)=は、今も見つかっていない。
やはり職場にいて無事だった長女と2人残され、ただ泣いていた。
美咲さんからは「春休みに友達と料理対決するから審査員やってね」と頼まれていた。充さんとは結婚25周年を祝う銀婚式の際に「(50周年の)金婚式まで元気でいて一緒に写真を撮ろう」と約束していたが、どちらも果たせなかった。
あれから9年。仮設住宅などを転々とする生活を経て、現在は長女と一緒に暮らす。「私が元気でいないとみんなが成仏できない」。市の文化施設でボランティアをするなどカレンダーを予定でいっぱいにする行動的な日々を送る。
それでも寝る前に不意に家族と過ごした思い出が、止めどなくあふれ出ることがある。そんなときは決まって、こう心の中でつぶやく。「元気でいるよ。心配しないで」(橋本昌宗)