【聖火は照らす 東日本大震災9年】(4)三陸鉄道「五輪の象徴」運ぶ 2度の試練乗り越え



東京五輪の聖火を乗せて運ぶ計画がある三陸鉄道では、急いで台風19号の復旧工事が進められた=2月20日、岩手県山田町(松本健吾撮影)
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 「線路がなくなっている」「トンネルが土砂でふさがっている」

 東日本各地に爪痕を残した台風19号から一夜明けた昨年10月13日。岩手県の第三セクター・三陸鉄道の中村一郎社長(64)のもとには、記録的な豪雨による被害の報告が、続々と寄せられていた。

 被害は広範囲にわたり、全線の7割は運行不能に。再開のめどは見通せない。「あの日と同じだ」。中村社長は覚悟を決めた。

 「もう一度、一日も早く復旧させてみせる」

朝ドラ追い風に

 昭和59年に開業し、「三鉄」の愛称で親しまれてきた三陸鉄道。複雑に入り組んだリアス式海岸沿いを南北に走り、地域の生活を支えてきたローカル線はあの日、試練を迎えた。

 平成23年3月11日。東日本大震災で発生した大津波で駅舎や線路、橋梁(きょうりょう)が流されるなど、壊滅的な打撃を受けたのだ。

 だが、わずか5日後に一部区間で運転を再開。「電車を動かすことが住民の希望につながる」という当時の社長、望月正彦さん(68)の方針だった。


三陸鉄道の中村一郎社長
三陸鉄道の中村一郎社長
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 岩手の被災地や三鉄が舞台となった25年放送のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」効果で観光客が増えたのも追い風となり、震災3年後の26年4月には宮古(宮古市)-久慈(久慈市)の北リアス線と盛(大船渡市)-釜石(釜石市)の南リアス線の全線で運行を再開。昨年3月には津波で不通となっていたJR山田線の宮古-釜石間を引き継ぎ、三陸沿岸を1本のレールでつなぐ全長163キロの「リアス線」として生まれ変わった。

 震災から8年半を経て再び直面した試練。一日も早い復旧を急いだ理由は2つあった。一つは「地域の足を守る」という鉄道マンの使命感。もう一つは、震災からの「復興」をうたう東京五輪の存在だった。

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