【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(10)入獄中に「民進党」誕生

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1987年に刑期を終えて出所(中央)。妻や大勢の支持者に出迎えられた

1987年に刑期を終えて出所(中央)。妻や大勢の支持者に出迎えられた

 《1986年5月30日、週刊誌「蓬莱島(ほうらいとう)」の記載内容について当局に起訴された名誉毀損(きそん)裁判の第2審の判決公判が開かれ、懲役8カ月の実刑判決が下された。その10日後、収監された。前年11月の政治テロで半身不随という重い障害が残った妻、呉淑珍氏が退院した直後のことだった》

 民主派の仲間たちに妻のことを頼み、後ろ髪を引かれる思いで刑務所の門をくぐった。私の監房の真向かいに、別の言論弾圧事件で収監された民主化活動家の鄭南榕(てい・なんよう)氏がいたことに驚いた。私は鄭氏の事件の弁護士を務めていたため、彼のことをよく知っていた。「私も来てしまいました」と言って2人で苦笑いした。それから鄭氏とよく話した。言論の自由や民主化、台湾の将来について、それぞれの考えを述べ合った。早くから台湾独立運動に関わった鄭氏から教えられることは多かった。約3年後、鄭氏は国民党政権の言論弾圧に抗議して焼身自殺した。41歳の若さだった。鄭氏の死は大きな反響を呼び、台湾民主化の起爆剤となった。鄭氏の命日の4月7日は今、台湾の「言論の自由の日」となった。

 《自身が刑務所に入ってから約3カ月後、台湾の政治に大きな動きがあった。「党外勢力」と呼ばれた132人の民主派活動家が1986年9月28日、台北市内の円山大飯店に集まり、「民主進歩党」という政党の結成を宣言したのだ》

 当時は国民党政権下で戒厳令が敷かれていた。政党結成は非合法だが、参加者に著名人が多く、世論の支持も受けているため、当局は黙認するしかなかった。しかし新聞などは、非合法の政党名を掲載できないとして「民×党」と表現していた。

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