《2006年夏以降、総統の機密費横領疑惑以外に、自身と妻が多くの企業経営者から賄賂を受け取っていたとの報道がメディアをにぎわせるようになった》
私は若いころから政治活動に専念し、金銭のことは妻に任せていた。妻がいろんな方から政治献金を受け取っていたことは知っていたが、賄賂であるという認識はなかった。私のそれまでの政治家としての活動はすべて献金によって支えられてきたからだ。
台北市議時代、言論弾圧事件に巻き込まれて罰金200万元の判決を言い渡されたが、各地を回って「言論の自由のために1人1元を寄付してください」と呼びかけ、たちまち300万元が集まった。当時の1元も、その後の数百万元、数千万元もみな同じ。「台湾を良くするための志」であり、大事に使いたいと思っていた。そのうえ総統は企業の経済活動にも、民間企業の人事にも関与する権限はないので、法律上の贈収賄は成立しないという認識もあった。ただ、受け取った政治資金は申告しなければならないが、それを怠ったことは問題だった。
《08年8月、総統を退任して3カ月後に記者会見を開き、政治資金を正しく申告しなかったことについて謝罪した》
当時のメディアは連日、私の献金問題で一色となり、自分の口から説明しなければいけないと思っていた。法律に従って申告していなかったことは大きな過ちであり、国民にきちんと謝罪した。ただ与野党を問わずほとんどの政治家は正しく申告していなかったのが実態で、政治の現実と法律が大きく乖離(かいり)していることは周知の事実でもあった。例えば総統選に使える資金の上限は4億元だが、私は2回とも倍以上を使った。しかし李登輝氏は1996年の選挙で25億元を、連戦氏が2000年の選挙で120億元も使ったことは、本人またはその側近が認めている。彼らは私をはるかに超える政治献金を受け取っていたのに、私だけが問題視されるのは不公平という気持ちもあった。