岡江久美子さん追悼 「いつも明るく照らしてくれた」 45年来の親友・岡まゆみさん

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岡まゆみさん(左)が平成30年に開いたジャズライブに駆けつけた岡江久美子さん。「いつでも撮れると思っていた」と、残されたツーショットの写真が少ないことを岡さんは悔やむ(岡さん提供)
岡まゆみさん(左)が平成30年に開いたジャズライブに駆けつけた岡江久美子さん。「いつでも撮れると思っていた」と、残されたツーショットの写真が少ないことを岡さんは悔やむ(岡さん提供)
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 女優の岡江久美子さんが、新型コロナウイルス感染による肺炎で、63歳という若さで亡くなった。岡江さんとは生まれ年も芸能界デビューの年も同じで、1年違いで同じドラマシリーズの主演女優を務めた。45年来の付き合いだった女優の岡まゆみさん(64)が、唯一無二の親友を悼んだ。(聞き手 兼松康)

 「ポーラテレビ小説」の「絹の家」で私が主演したのが昭和51年。久美ちゃんは50年の「お美津」で主演デビューでした。私が「絹の家」の撮影をしていると、近くのスタジオで久美ちゃんが別のドラマの撮影をしていて。時々会いに来て「頑張ってね」とエールを送ってくれていました。

 あの人懐っこさだし、年齢も同じで、名前も似ていて。「岡久美子さんですよね」と間違えられたり。久美ちゃんも、私が出演していた「『まんがはじめて物語』のモグタンのお姉さんですよね」と言われたり。自然と親近感もわきました。

 あの頃は仕事にも自分で車を運転して通っていて。お互いに車好きで、久美ちゃんは黄緑のメタリック、私は黄色い車だったかな。2台でご飯に行ったり、地方や互いの別荘に行ったり。時々、久美ちゃんの車にも乗せてもらいました。私が車を買い替えると「乗せてよ」と久美ちゃんが連絡してくることも。

 私は58年に劇団四季に再入団。同じ年に久美ちゃんは美帆ちゃんを生み、子育てに仕事に忙しい時期と重なりました。何年かは会えずに電話で時々やり取りするだけ。その間に久美ちゃんは国民的な女優になりました。手の届かないところに行ってしまったかなとも思いましたが、久しぶりに再会したら、時間を忘れて、それまでもずっと会っていたかのような感覚で話しました。どんなときも全く嫉妬や羨(うらや)ましさを感じさせない人です。けんかしたこともないし、会いたくないと思ったことなんてないんです。

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