「GWには帰るね」叶わなかった願い F15戦闘機事故、田中1等空佐の“両親”悲痛

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「GWには帰るね」叶わなかった願い F15戦闘機事故、田中1等空佐の“両親”悲痛

桑野忠刀さん(前列左から2人目)、広子さん(同3人目)らと写真に納まる田中公司さん(同左端)

【写真】航空自衛隊のF15戦闘機

 田中さんの実家と桑野夫妻の家は隣同士で、家族ぐるみの付き合い。田中さんは母親を早くに亡くし、10年ほど前に父親も他界した。桑野さんは「寂しかろう。俺たちは家族だから、うちに帰ってこんね」と、帰省のたびに家に招いて食卓を囲んだ。

 田中さんは空自入隊後、2012年からアクロバティック飛行チーム「ブルーインパルス」隊長を2年間務め、昨年6月からは小松基地に拠点がある飛行教導群の司令だった。夫妻を勤務先の基地に招いては「うちの両親です」と紹介し、母の日には毎年、広子さんに花束を贈った。

 夫妻も島根、鹿児島、石川県と、ブルーインパルスの曲技飛行のたびに応援に駆け付け、最後の飛行では田中さんを抱きしめて慰労した。「自衛隊辞めたら何しようか」と漏らすと、自動車整備会社を経営する忠刀さんは「俺の会社で働けよ」と提案。田中さんも「そりゃいいね」と喜んだ。

 事故前日の1月30日、田中さんが広子さんにかけた電話が最後の会話となった。「ゴールデンウイークには帰ってくるね」。その言葉を信じ、救助の知らせを待ち続けたが、願いはかなわなかった。広子さんは涙を浮かべながら言葉を絞り出した。「北陸の海は寒かっただろうに。今までよく頑張ったね」

 (西田昌矢)

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