理想の両親「今も見守ってくれているはず」、花嫁姿も孫の顔も見せられなかった…紀伊水害12年

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紀伊水害から12年が経ちましたが、和歌山県那智勝浦町湯川出身の清水佳那江さん(40)は、自宅跡地を訪れながら両親との思い出を振り返っています。彼女は紀伊水害の2か月後に結婚し、素晴らしい3人の子供にも恵まれました。しかし、心残りの一つは両親に花嫁姿も孫の顔も見せられなかったことです。それでも、「家族と歩む日々が心の支え。頑張って生きなきゃ」と強く言います。

素晴らしい思い出の写真

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かつては白い礼服やドレスを身にまとった若い両親の写真。彼らの真剣な表情は微笑ましいものでした。「一緒にどこにでも行く。仲の良い理想の夫婦でした」と佳那江さんは振り返ります。結婚記念の写真は紀伊水害で水損してしまい、数少ない遺品となりました。

彼女の父、二河和也さん(当時56歳)と母政子さん(同56歳)は、那智勝浦町井関の山間部にある集落で生活していました。紀伊水害が起こったのは2011年9月4日の未明で、2人は自宅で被災しました。

父との電話

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当時、佳那江さんは大阪で助産師として働いていました。彼女は自宅に電話をかけましたが、つながることはありませんでした。結婚を控えていた夫の良治さん(46歳)は、被災後の5日の朝に数時間の道のりを土砂に覆われた状態で歩き、現場にたどり着きました。「大変なことになっている」と連絡を受け、佳那江さんは慌てて同町に戻りました。

彼女たちの100年以上も続いた自宅は跡形も残らず失われてしまいました。佳那江さんと妹(36歳)や弟(32歳)は3日間にわたり土を掘り返しましたが、何も手がかりをつかむことはできませんでした。数日後、遺体が安置されている中で、歯型から和也さんだと確認されました。その後、約2週間後に那智湾で見つかった足の一部も、DNA鑑定の結果、政子さんのものとわかりました。

お別れの時

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火葬の際、周囲の思いやりもあり、ひつぎの中で眠る和也さんの顔を見ることは叶いませんでした。政子さんの遺体の状態は受け入れがたいものでした。

佳那江さんと良治さんは政子さんの誕生日にあわせ、紀伊水害から2か月後の11月に婚姻届を提出しました。披露宴では、母にブーケを手渡し、父に感謝の気持ちを伝える予定でしたが、果たすことができませんでした。

良治さんは「あいさつを済ませ、祝福してもらっていたのがせめてもの救いでした」と打ち明けます。

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