中森明菜の〝業界追放〟訴え、ガウス社長がメンツ丸潰れで怒り心頭 姿を見せたのは約8カ月ぶり…「Dear Friend」熱唱

明菜のイメージ

明菜さんが久しぶりに姿を現し、力強く「Dear Friend」を熱唱したことが話題となっています。ガウスエンタテインメント(現徳間ジャパンコミュニケーションズ)との騒動で、明菜さんは〝業界追放〟の訴えを受けたことで、社長の怒りに触れています。

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中森明菜さんがなぜこんなにもトラブルが絶えないのか、疑問に感じたことはありませんか?芸能リポーターの梨元勝さんも、ファンクラブのトラブルやレコード会社との騒動に対して、不思議に思ったことをつぶやいていました。

特に話題となったのは、1999年7月13日に行われる予定だったバースデー・コンサートがすべて中止になったことです。このコンサートはファンクラブ「アルテラシオン」が主催し、東京、大阪、名古屋の3都市で開催される予定でした。ガウスエンタテインメントには直接関係のない出来事でしたが、「許しがたい出来事だった」との声もあります。

バースデーコンサートのチケット代は1人7000円で、総額2300万円にも上りました。全国のファンが楽しみにしていたイベントでしたが、ファンクラブが個人事務所の「NA-PC」と勝手に企画し、了承を得ていなかったため中止となりました。その理由も説明が曖昧で、ファンクラブの代表者まで行方不明になってしまい、払い戻しもスムーズに行われませんでした。当然、ファンの中には法的手段を取ると脅す人も現れました。さらに、明菜さんが所属していた「インディジャパン」とのマネジメント契約も打ち切られたことで、ガウスエンタテインメントは「これ以上責任を持てない」と決断したのでしょう。

確かに、トラブルの原因は明菜さんではなく周囲のスタッフにあると言えますが、結局のところ、明菜さんも責任を負わされることになりました。ガウスエンタテインメントの斉藤至廣社長は記者会見で「中森明菜はこの業界に置いてはいけない」と怒り心頭に業界追放を訴えました。会見では、新曲のプロモーションに協力しなかったことが最大の不満でした。特にカラオケ映像への協力がなかったことにはメンツを潰されたと感じていたようです。ガウスエンタテインメントの親会社はカラオケ大手の第一興商であり、斉藤社長は第一興商で制作本部長も兼務していました。そのため、自社のカラオケで明菜さんの映像を使用できなかったことは大きな問題でした。マネジャーとの話し合いの場を持とうと連絡を取ろうとしましたが、返事があいまいで連絡が取れない状態が続きました。ガウスエンタテインメントとしては、もうフォローすることも我慢することもできない状況だったのでしょう。

結局のところ、明菜さんの周りには信頼できる人材がいなかったことが問題でした。しかし、それを呼び寄せていたのも明菜さん自身でした。明菜さん自身も気づくべきだったかもしれませんが、周りの人々は明菜さんを利用することしか考えていなかったため、ネガティブな情報は伝えなかったのだと思います。ですから、斉藤社長の記者会見を聞いたときは正直、驚きました。

明菜さんはあらゆる賞を総なめにし、「歌姫」とまで称された実力派歌手です。しかし、今回の件では絶体絶命のピンチに追い込まれた状況だったと言われています。それでも明菜さんはやる気十分で、記者会見後の11月16日にはチャリティー・イベントに出演しました。大いに支持を受けました。

明菜さんが姿を見せたのは約8カ月ぶりでした。明菜さんは「明日に向かって希望の持てる明るい曲です。聞いてください」と力強く「Dear Friend」を熱唱しました。

中森明菜(なかもり・あきな)は1965年7月13日生まれ、東京都出身の歌手です。1981年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、1982年5月1日にシングル「スローモーション」でデビューしました。その後も「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」など多くのヒット曲を生み出しました。また、NHK紅白歌合戦にも8回出場し、1985年と1986年には2年連続で日本レコード大賞を受賞しました。

【出典】Yahoo!ニュース