10代からのひどい潔癖症で、家にひきこもって鬱屈とした日々を送っていた著者。20代になり、やっと心療内科に出向いた彼女についた病名は「強迫性障害」。投薬治療を重ねるうちに、彼女の精神は少しずつだが回復の兆しを見せるのだった――。本稿は、難波ふみ『気がつけば40年間無職だった。』(古書みつけ)の一部を抜粋・編集したものです。
● 自分は「強迫神経症」 だと分かった18歳
青く鬱屈とした日々を送るなか、繰り返す掃除と消毒と不安に、「いよいよ自分は頭がおかしくなったのだ」と絶望の淵に立たされていた18歳の頃、偶然、あるテレビ番組を目にした。
それは「強迫神経症」、今でいう「強迫性障害」という病気についての特集だった。
その番組を見たとき、心底ホッとしたのを覚えている。
「私だけじゃない。自分と同じ辛さを味わっている人がいる。あぁ、自分が苦しんでいたのはこの病気のせいだったんだ」と……。
だが、それを理解してもすぐに病院に行く、ということはしなかった。理由がわかっただけで、ホッとしたというのもある。今、振り返ると、「そこは早く行っとけよ」と言いたい。しかし、引っ越し後、我が家の家計はどんどん逼迫してきていた。専業主婦だった母も中華惣菜屋のパートに出るようになっていて、そのため、あまり金銭的に負担をかけたくなかったのだ。
強迫神経症という病気がある、という説明は家族にしていたように思う。
病状は深刻であったので「働く」という選択肢は遥か遠くに輝いているばかりであった。
他の人が“普通”にできていることが自分にはできない。
その事実が私の自尊心をガリガリと削りとる。
「生活をする」ということひとつとっても、私には難しいことだらけだった。「適当に」とか、「手を抜く」ということがうまく理解できなかったのだ。
そう言えば、十代後半のある日、突然、腕や指がかゆくなって半円状の発疹が出たことがあった。その発疹は徐々に顔まで広がり、瞼や頬もボコボコと腫れ出し、なんとも不細工なさまに泣き出しそうになったものだ。幸運なことにその腫れと痒みは数時間で治まり、ことなきを得た。
だが、翌日もまた痒くなったため、近所の内科病院へ行った。しかし、顕著な症状がなくなってしまったので、原因はわからないと申し訳なさそうに言われた。
● ひどい貧血で 「氷食症」にも
「昨日すぐ来てくれれば……」とのひとことに、「あんな酷い顔で外に出られるわけないでしょうが!」という言葉をキュッと飲み込んだ。ただ、「おそらくはじん麻疹であろう」という説明があり、「ストレスから来る場合も多く、はっきりとした理由が判明しないこともある」と言われた。
そして、血液検査を受け、結果は1週間後に聞きにくるということで帰された。