中洲の華やかなネオンの裏で起きた、衝撃的な保険金殺人事件。2人の夫を殺害したスナックママ、高橋裕子。事件から20年、30年という歳月が流れ、事件の関係者たちの心境にはどのような変化があったのでしょうか。本記事では、ノンフィクションライター小野一光氏が事件を振り返り、被害者遺族の胸中に迫ります。
2番目の夫、Bさんの最期の言葉
1994年10月、高橋裕子によって殺害された2番目の夫、Bさん。享年34歳。彼は事件直前、実家の留守番電話に最期のメッセージを残していました。腹部を刺され、苦しみに喘ぎながら、「刺された…」という言葉を残したのです。この事実は、のちに裕子の裁判で検察側冒頭陳述でも触れられました。
alt 中洲の夜の街並み。ネオンが煌めく繁華街の風景
Bさんの母親(86歳)は、当時の心境を小野氏に語りました。「今でも覚えていますよ。あんなに健康な体を刺されて、本当に恨みました。たった一人の息子を刺されて…そんなにせんでもよかったろうに…」。歳月を経ても、息子を失った悲しみと怒りは消えることはありません。
Bさんの妹も、兄の無念を訴えます。事件当時、彼女は嫁ぎ先で法事に出席しており、母親は一緒にいました。島に戻った母親が留守番電話を聞いたのは、それから間もなくのことでした。そして、間もなくしてBさんの死を知らされるのです。第一発見者と裕子からだったといいます。
自殺を否定する根拠
Bさんの妹は、兄が自殺するはずがないと確信していました。留守番電話のメッセージ以外にも、彼女にはそう確信させる理由があったのです。一体、Bさんと裕子の間には何が起こっていたのでしょうか。事件の真相に迫ります。
事件から30年、遺族の心痛は続く
事件から30年。逮捕から20年。高橋裕子は現在も無期懲役囚として服役中です。1億2000万円もの保険金を受け取った裕子。その裏で、Bさんの遺族は深い悲しみと苦しみを抱え続けています。事件の記憶は風化することなく、彼らの心に刻まれています。
事件の真相、そして遺族の苦悩。私たちは事件を風化させることなく、記憶にとどめておく必要があります。