4月13日の開幕日、テレビの取材で大阪・関西万博へ行ってきた。僕はかねてから万博否定派。このスマホ時代に万博の意義はあるのかを疑ってきた。ネットがない時に「世界」と「未来」が同時に体験できる万博は貴重な機会だったのだろう。だが今や世界中の情報は簡単に手に入るし、AIなどの最新技術がスマホで体験できる。そんな時代に、わざわざ大阪の埋め立て地まで未来を体験しに行く意味はあるのか。
というわけで否定派の万博体験記である。まず建築的な見応えはあった。世界最大の木造建築物であるリングは写真映え、「null2」館は動画映えするという意味で現代的。フランス館やアメリカ館など実験的な建築が多いのも魅力的だった。
パビリオン内部はレベルの差が激しい。公民館の展示レベルだったり、「これだけしかないの?」という規模のものもあった。あるパビリオンを取材した時のこと。すでにメインの展示会場の中にいたのに、スケールが小さいと思ったのか、アナウンサーの青木源太くんが「メインの展示はどこなんですか」と無邪気に聞いて場を凍らせていた。
報じられている通り、屋根は少ない。「真夏が心配ですね」とのんきに話していたら開幕日は途中から横殴りの大雨となった。予約なしで入れるパビリオンは長蛇の列。気楽に入れるカフェなどが少ないのも気になった。多くの飲食店は高価格だがコンビニだけは市内と値段が変わらない。そのためか、セブン-イレブンなんて入るだけで30分以上かかったようだ。
「人類の辛抱と長蛇」などと皮肉られた70年万博よりはマシなのだろうが、チケット購入・予約サイトが非常に使いにくい。わざと万博来場者を減らそうという意図があるとしか思えないくらいひどい。どんなことがあっても万博を擁護する橋下徹さんも、さすがに予約サイトに関しては文句を言っていた。
世界各国の人と一堂に会せるのはいい。北欧館でノルウェーのチョコレートがないのかとしつこく聞いていたら、わざわざ入荷してくれることになった。パレスチナブースでは「イスラエルで止められたため空っぽの展示ボックス」が現代アートのように注目を集めていた。
総合的に考えて近隣の人なら行く価値があると思う。対岸のユニバーサル・スタジオ・ジャパンや、Nissyのドームライブほど面白くはないが、その分チケットは安い。平日券6000円、休日券7500円、夜間券3700円は妥当だろう。
だが本当に大事なのは万博閉幕後だ。この30年間、万博やオリンピックといったメガイベントを開催する際の基本中の基本なのだが、目的はお祭りそのものではない。どのようなレガシーを残すかである。しかし大阪万博では、せっか造ったリングもパビリオンも、ほぼ全てが壊される。たった半年のイベントのためにこんな無駄は許されるのか。25年後や50年後、この万博はどう懐古されるのだろうか。
古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。
「週刊新潮」2025年5月1・8日号 掲載
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