東大在学中に起業し、年商10億円のホテル開発・空間プロデュース事業を生み出した「水星」代表取締役CEOの龍崎翔子さん(29)。異端の東大出身者に母校はどう映っているのか(全2回の1回目/後編へ続く)。
【写真】「京大は東大より上」のヒエラルキー 19歳で起業した女性経営者がそれでも東大に進学した理由
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両親の仕事の都合で半年ほど米国に住んでいた8歳の頃。日本に戻る前の最後の1カ月間、家族でアメリカ横断ドライブを敢行した。一日の終わりに泊まるホテルは最大の楽しみだったが、代わり映えしない空間の味気なさにつくづく落胆した経験から、「自分が泊まりたいと思えるホテル」を世に生み出したいという渇望感と使命感に駆り立てられた。
この原体験の衝動を抱えたまま、「将来はホテル経営をしたい」という明確なビジョンを持って東大に進学した、と振り返る龍崎翔子さん。そもそもなぜ、東大を選んだのか。
「『ホテル経営者になるための正攻法のキャリアパス』はどこにもないと判断し、自分でキャリアを開拓していくしかないと決意したのが大きかったと思います。自分よりも優秀な人たちと幅広く交わることで、キャリア開拓の手段や可能性を広げていくことが重要と考え、国内トップの東大に的を絞りました」
もちろん、経営学や観光に関するカリキュラムが充実した大学は国内外に複数存在するが、当時の龍崎さんにとって、そうした専門性に特化した「直接的な学び」に大きな意義は見いだせなかったという。
将来やりたいことが明確な龍崎さんは海外トップ大学向きだったようにも思われるが、周囲にロールモデルが存在せず、「学部から海外大学に行くイメージは湧かなかった」という。そんな地元は東大を志望することにすら首を傾げられる環境だった。京都市内の国立高校に通っていた当時、担任の教師からは「進路を否定するわけじゃないけど、なぜわざわざ東大に? 京大もいい大学なのに」と訝しがられたという。
■「京大は東大より上」のヒエラルキー
「京大は東大より上」という強烈なヒエラルキーのある土地で育ちながらも、龍崎さんは東大志望を曲げなかった。東大でなければならない明確な理由があったからだ。
「京都という特異な都市空間の中で、さらに京大のあるエリアというのは要塞都市のような、そこで生活が完結する閉じたイメージがありました。それでは社会との接点が得られないと思いました」
京大にはない東大の魅力は首都・東京の真ん中にある強みだという。
「日本のトップの大学であることに加え、社会との接点が豊富にあることです。経済や政治、アカデミックの分野でも在学中に出会える人や価値観の量は全く違うと考えました。より深い学びの機会を得たいというだけでなく、その先の社会人としての生活を見据えた時に、東大という環境は日本で一番良かったと、いま振り返っても思います」
とはいえ、東大に進学した龍崎さんは、周囲の東大生とのキャリア観のギャップに直面させられることになる。
「まだ大学生ということもあり仕方ないかとは思いますが、自分の選択肢や可能性を模索する過程の人たちが多い印象で、社会に出てこういう仕事がしたいという明確なキャリア観を持つ人はほとんどおらず、それぞれ進路について葛藤している方が多い印象でした。学業優秀で聡明な方々として国内トップの東大を選択するのは当然の帰結だった、という人が多かったと思います」
■東大の「進振り」は東大生マインドにマッチしている
東大生の特性として龍崎さんは「自分の選択肢を最も広げられる選択をしたい傾向」があると指摘する。例えば、後期課程の各学部・学科への進学を2年生の前半終了時に内定する東大固有の「進学選択」(通称「進振り」)も、「学部・学科選択の意思決定を先送りできる」ことが、東大生のマインドに合うシステムだと感じられるという。
ただ、東大生にはさまざまな分野で活躍できる選択肢があるにもかかわらず、結局似たようなキャリアに収斂していくイメージもある、と龍崎さんは吐露する。
「頭もいいし、体力もあるし、精神力も忍耐力も備えた優秀な人ばかりなんですけど、そういった人たちが、みんながみんな外銀(外資系投資銀行)や戦コン(戦略コンサルタント)をはじめとした一流企業に行かなくてもいいのに、とは思います。その人にしかできないことだったり、東大出身者があまりいない業界に1人で飛び込んだりする人が増えれば、日本はもっと面白くなるのに、とずっと感じてきました」