4月に奈良市の学校グラウンドに雷が落ち、中高生6人が搬送された事故は、落雷事故の恐ろしさを改めて考えるきっかけになった。高知市の北村光寿(みつとし)さん(44)も約30年前、県外での高校サッカー部の試合中に落雷事故に遭った。北村さんは重い障害を負うことになり、母みずほさん(72)は「落雷は死と隣り合わせ。同じ被害を何度も繰り返さないようにしてほしい」と訴えている。(田中志歩)
1996年8月、土佐高校サッカー部1年だった北村さんは大阪府高槻市で公式試合に出場した。その日、同市では台風が接近し、大気は不安定だった。雷注意報が出る中で試合は実施され、北村さんは5分後に雷に打たれた。
奈良市の事故は部活中で、雷注意報が出ていたが、顧問らは把握できていなかったり、認識するも対応できていなかったりしたとされる。みずほさんは「あの日、雷はたまたま光寿に落ちた。注意報が出たら屋内に避難するよう徹底してほしい」と警鐘を鳴らす。
生徒が落雷に巻き込まれる事故は奈良以外でも起きており、昨年4月には宮崎市の高校グラウンドに雷が落ち、練習試合中の生徒18人が病院に運ばれている。
約30年前の事故では、北村さんはすぐ救急搬送されたが、30分間心肺停止状態になった。電気ショックで蘇生したが、2か月間、意識が戻らなかった。「たくさんのチューブにつながれ、目を見開いた状態で、体は棒のように硬かった」。大阪の病院で北村さんと対面したみずほさんは振り返る。
意識を取り戻した北村さんは両目失明、言語障害、手足が不自由になるなど重度の障害を負い、車いす生活となった。高知に戻った北村さんは当時の引率教員に「僕の体を元に戻してください」とままならない発語で訴えたという。
その後、同級生や医師などの支援を受けながらリハビリを開始し、2004年には県立盲学校に入学。キーボードで文字を打つ練習をし、音声パソコンでの意思疎通ができるようになった。
「大学に行って、人の役に立てるようになりたい」と目標もでき、13年には高知短期大学を4年かけて卒業。18年に広島国際大学心理学部に入学し、昨年3月、43歳で同大学を卒業した。
みずほさんは事故が起きてからの日々を振り返り、「光寿と私の生活は一変し、二人三脚で、ひとときも休まる暇なくここまできた。光寿が諦めずに頑張ってきたからこそ今がある」と前を向く。一方で、約30年たっても落雷の事故がなくならない現状に、「未来のある中高生が雷に打たれる悲劇は二度と起こってはならない。落雷で一生が変わってしまうということを、広く学校関係者などに知ってもらいたい」と訴える。
読売新聞社