都心寄りはたくさん走っているのに…なぜ?常磐線の運行本数が「取手で半減」する“ある複雑な事情” 鉄道電化をめぐる知られざる「攻防」の歴史


【はじめに<地図と写真>を見るとよくわかる】茨城県石岡市柿岡の気象庁地磁気観測所と鉄道路線の位置関係。現在は観測所から半径35km程度が事実上の「直流電化規制圏」になっている

 2025年5月時点の時刻表(平日下り、特急除く)によると、上野―土浦間の66.0kmを直通する列車は1日60本。土浦と同じ60km台の主要都市駅の場合、上野駅からの直通本数は宇都宮線の古河駅と高崎線の熊谷駅が70本台で、これに新宿・池袋方面からの湘南新宿ラインを加えると100本を超える。

 区間別の本数では、上野―北千住間が134本。東京メトロ千代田線が乗り入れる北千住―我孫子間は250本台と大幅に増える。我孫子駅で列車の行き先が常磐線方面と成田線方面に分かれるため我孫子―取手間は138本に減るが、それでも100本台を維持。ところが、取手―土浦間は100本を割り込むどころか半減以下の61本まで落ち込んでしまう。

 常磐線はなぜ、取手を境に列車が大幅に減るのか。そこには茨城県石岡市内にある「地磁気観測所」と鉄道の、長い「攻防」の歴史が詰まっている。

 地磁気観測の歴史は古い。日本初の本格的な鉄道が開業してから11年後の1883年、現在の東京都港区赤坂に臨時観測所が設置されている。1887年ごろには、江戸城旧本丸北桔橋門にあった中央気象台(現在の気象庁)構内での観測が始まった。



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