「すぐ隣で大勢の人たちが亡くなった」107人死亡“凄惨な電車事故”に遭遇→トラウマで3年半後に自死…JR福知山線事故の“知られざる犠牲者”の名前


【衝撃写真】ブルーシートには血まみれの人たちが…107人が死亡した“凄惨な電車事故”の事故現場を見る

 乗員乗客107人の死者を出した、JR史上最悪の惨事・福知山線脱線事故から20年。脱線・転覆の10秒間に、いったい何が起きていたのか。生死を分けたものは何だったのか。重傷を負った生存者にふりかかった様々な苦悩と、再生への歩みとは――。

 ここでは、遺族、重傷を負った被害者たち、医療従事者、企業の対応など、多角的な取材を重ねてきたノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書 『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』 (文藝春秋)より一部を抜粋。事故のショックで心的外傷を受け、自死に追い込まれた男性について紹介する。(全3回の3回目/ 1回目から読む )

◆◆◆

自死に追い込まれた人たち

 その中の1人の若者、岸本遼太について記す、

 遼太は、宝塚市に母と2人きりで暮らしていた大学生だった。大学では環境社会学を専攻し、4年生になっていた。

 事故の時、4両目に乗っていて、首をねんざする怪我を負った。4両目は、3両目までと違って死者こそ出なかったが、それでも負傷者は102人に上っていた。軽傷とはいえ、死傷者が全体で600人を超える大惨事となると、精神的なショックは大きい。

 遼太は2カ月後の6月25日、パニック障害に陥り、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。その後、大学をなんとか卒業できたが、自宅で苦悩する日々を過ごし、ブログや日記帳に、「すぐ隣で大勢の人たちが亡くなった。なぜ自分は生き残ったのか」と、罪責感に苦しむ心理状態を綴っていた。



Source link