江戸歌舞伎の大名跡・尾上菊五郎。5月、尾上菊之助改め「八代目尾上菊五郎」(47)と、息子の尾上丑之助改め「六代目尾上菊之助」(11)が同時襲名の運びとなり、歌舞伎ファンらが歓喜に沸いた。
音羽屋の新しい門出にあたって発行された襲名記念本『音羽屋三代 八代目尾上菊五郎 六代目尾上菊之助襲名記念』より一部を抜粋、再編集し、歌舞伎という世界に生きる父から子へ、受け継がれていく思いを紹介する。
【写真】八代目尾上菊五郎さんの子ども時代、1984(昭和59)年2月、歌舞伎座『絵本牛若丸』より
■息子、六代目菊之助へ
11歳での菊之助襲名。小さい体では受け止めきれないところもあると思います。
新菊之助はこの4月から小学校6年生。学校が楽しくてならないようです。アウトドアクラブに入ったり、仲のいい友だちとの学校行事を心待ちにしていたり。
それが、小学校最後の1年、なかなか学校に行けなくなってしまう。最後の運動会、最後の修学旅行、さまざまな〝最後〞に参加できない辛さがあるでしょう。
【写真】父と息子の絆、受け継がれる伝統。これまでの舞台を振り返る(7枚)
学校生活の楽しさと襲名へのプレッシャーが波のように寄せては返し、時折嵐のような激しい葛藤の波が爆発することがあります。
実は手書きの「襲名カレンダー」を作ったんです。〝あと何日〞とわかるように。でも、一度彼が爆発した時に、ビリーッと破かれてしまって。2人で大喧嘩。
妻は芝居のことについてはいっさい入ってこないので、「ドラマみたい」と後でさらっと言っていましたが、本当は一番心配してくれていると思います。歌舞伎役者の娘として妻として母として、全てわかって見守ってくれていることが心強いです。
「襲名カレンダー」は翌日作り直し、今度は破かれないように、夜中にラミネート加工をしに行きました(笑)。自分が菊之助を襲名した時の挫折を思うと、ついついそうならないようにと稽古が厳しくなってしまうんです。
爆発するのも当然で、それを受け止めながら2人で前に進んでいきたいと思っています。
■私の子ども時代
襲名披露の最初は『京鹿子娘道成寺』と『弁天娘女男白浪』。弁天小僧は物心ついた時から「いつかやりたい」と言っていたので、嬉しさも大きいのではないでしょうか。「稲瀬川勢揃い」の台詞を小さい頃からそらんじていましたから。