藤岡弘、命続く限り子どもを愛し続ける 来年2月に80歳 家族愛語った 心に焼き付く亡くなった母の言葉


【写真】愛娘たちが全員美しい!父の愛&尊敬の雰囲気がひしひしと伝わる

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 80歳という人生の節目を前にしても、藤岡の心に波風が立つことはない。「年齢のことはあまり考えたことがない。日々をどう生きるのか、そういう気持ちです」。淡々と、しかし大切に日々を過ごす。

 年齢を重ね、日常で“死”に接することも少なくない。「先輩がどんどんいなくなっていくのはさみしい。自分だけ取り残されているというか、なぜ僕だけ残っているんだろう、とも思います」と、こぼす。一方で「いずれお迎えがきたら、『わかりました』って逝くしかない。でもそういう気がまったくなくて、予兆もないんです」と、快活に笑った。

 そんな中、藤岡が生きる意味に見いだしたのは、子どもたちの存在。「遅く生まれた子たちなのでね。なんとしても子どもたちの成長を見届けたい。僕は子どものためなら命を捨てられる。自分の心臓が止まるまでは絶対に守る、という意識は絶えずあります」と語る目は真剣そのものだ。

 藤岡ファミリーとして露出が増え、仲むつまじい姿が知られるにつれ、家族円満、子育ての秘けつを聞かれる機会も増えた。だが藤岡は「困っちゃうんですよね。一番返答に困ります」と苦笑する。子どもに愛情を注ぐのは、何も特別なことではない。「当たり前のことをしているだけ。特別なことをしているつもりは一切ない」と言い切った。

 命続く限り子どもを愛し続ける、それは「藤岡家の伝統」だ。103歳で亡くなった母親の「子どもに命を注ぎなさい」という言葉は今でも心に焼き付く。自身が「子煩悩」と表現されることも、「僕には似合わないね」と否定するが、「僕が疲れて帰ってくるとわかるんでしょうね。一番下(舞衣)が抱きついてきてね、『お父さん、疲れてるでしょ?』って。それが最高の癒やしです」と、目を細める。

 子どもたちを深く愛する一方で、「自分は子どもたちによって生かされている」とも話す。「家族は僕の生きがい。もしも家族がいなかったら、もっと早く地上の旅を終えていた。子どもによって命を永らえていると思いますよ」。家族がいなければ自分は生きていない。そう言い切る姿に藤岡の愛と覚悟がのぞく。

 これまで世界100カ国以上を訪れて見聞を広げ、時に生死の境をさまよう体験もした。藤岡はその経験を「思いを伝え、託し、ゆだね、残していきたい」と語る。

 5月11日の母の日、4人の子どもたちから母へピンクのバラの花束が贈られた。父・藤岡も一輪の赤いバラを受け取ったといい、「ついていたメッセージがいいんですよ。『いつもありがとう』ってね」と、うれしそうに明かした。優しく、家族思いに育った子どもたち。藤岡の、父の深い愛は確実に受け継がれている。

 ◇藤岡弘、(ふじおか・ひろし)1946年2月19日生まれ、79歳。愛媛県出身。65年に松竹映画「アンコ椿は恋の花」でデビュー。71年に「仮面ライダー」の主人公・本郷猛役で一躍人気を得る。日本人初のスクリーン・アクターズ・ギルド(全米映画俳優組合)メンバー。02年からは「探検隊シリーズ」の隊長として人気を獲得。23年のNHK大河ドラマ「どうする家康」には織田信秀役で出演した。海外などで真剣による演武を行っており、武道家としても知られる。



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