人気YouTuberヴァンビ、成功への壮絶な道のり:「やりたいこと」より「求められること」を選んだ理由

YouTuberヴァンビ氏のキャリアは、バンド活動から始まった。かつてヴィジュアル系バンドのメンバーとして活動していたが、解散後、次のバンドを組むまでの間、ファンに自身の活動を届ける手段として、当時普及し始めたYouTubeを「ぬるっと」始めたのがきっかけだという。ツイッターでは画像しか投稿できないため、動画を届けたかったという思いがあった。映像をアップロードできるSNSであれば、何でも良かったのだと振り返る。

現在の心境を語る人気YouTuberヴァンビさん、都内スタジオにて現在の心境を語る人気YouTuberヴァンビさん、都内スタジオにて

ヴァンビ氏の父は俳優だった。幼い頃に亡くなった父が舞台に立つ映像を見ながら、母が毎日泣いていた姿が記憶に残っているという。悲しい記憶ではあるが、その姿を見て「亡くなった後も映像で誰かを癒やしたり、元気づけたり、感動させたりできる俳優はすごい」と感じ、バンドを始める前は俳優を目指していた時期があった。しかし、中学・高校の6年間、俳優のオーディションに応募し続けたが、一つも合格しなかった。「芸能界の大人が認めた子供しか、俳優の夢は叶えられないのだ」と痛感したという。

自身の力でのし上がろうと、自分でバンドを組む道を選んだ。「ファンがたくさんつけば芸能界の大人も認めてくれるだろう」と考えたのだ。しかし、実際に活動を始めてみると、人気イベントへの出演や雑誌掲載には、やはり芸能界の大人に気に入られる必要があった。実力ではなく、有力者に気に入られるかどうかが重要視され、頭を下げたくない相手にも頭を下げるような「しがらみ」に悩まされたと語る。

そんな中でYouTubeを始め、希望を感じ、やりがいを見出した。自身の作品を、芸能界の大人の目を介さずに直接視聴者に評価してもらえる環境に、「何のしがらみもない時代が来た」とのめり込んでいったという。YouTuberが評価される要素は、親近感や応援したくなる気持ちなど、これまでの才能の評価基準とは異なる部分がフォロワー数として数値化される点にある。これにより、大手事務所にコネがなくても、有力者に気に入られなくても、埋もれていた才能が世に出る可能性を感じたのだ。

当初はiPhone一台で撮影から編集まで全て行っていた。スマホ一つで人生が変わり始めたことが非常に印象深かったという。誰も教えてくれる人がいなかったため、全て独学で習得した。当時、ヴァンビ氏が好きだったYouTuberは「PDS株式会社」だった。内容はともかく、明るく元気でハイテンション、バカなことをやっていて、それを見て笑ってしまう自分がいた。彼らをベンチマークとし、「俺はこいつらより面白いぞ」という根拠のない自信を持っていたという。

声が大きい、ハイテンションといった部分を強く意識して動画を撮影し、「売れている人たちの何が刺さっているのだろう」「俺はなんでこの人好きなんだろう」といった好きな部分を自分に落とし込んで再現してみた。しかし、毎日投稿してもフォロワー数は全く伸びず、1万人にも届かなかった。最初の1年間は苦戦の日々だったと振り返る。

なぜ伸び悩んだのか?それは、「自分が面白いと思うもの」を上げていたからだった。そこで、考え方を変えた。「やりたいこと」ではなく「求められること」をやろうという発想に転換したのだ。

当時、ニコニコ動画で「ジブリ飯」がバズっていたが、それは単発の企画だった。需要があるにも関わらず、専属的に供給している人がいないことに気づき、「アニメ料理専門チャンネル」に切り替えたところ、フォロワー数が一気に伸び始め、10万人規模に達した。

「求められること」への転換とブレイク

YouTubeチャンネル登録者数が10万人に到達すると、銀の盾が贈られることは多くのYouTuberにとって目標の一つだ。招待コードが英文で送られてきて、必要事項を記入すると宅急便で届くという流れだった。ヴァンビ氏はYouTubeを始めるにあたり、小さな目標をたくさん立て、一つずつクリアしていくことを意識しており、最初の大きな目標がこの銀の盾だった。届いた時の興奮は忘れられず、その日は飲み明かしたという。

その頃の月収は20万円から30万円程度になり、YouTube一本で生活できるようになった。次の目標は「YouTubeだけで一人暮らしをする」ことだった。当時は撮影から編集まで、基本的に全て一人で行っていた。

ヴァンビ氏は自身を「カメレオンYouTuber」と称するほど、頻繁にチャンネルのジャンルを変更してきた。エンタメから始まり、アニメ料理、そしてジェンダーレス韓国アイドル系へと変化した。ジブリ飯のようなコンテンツは数が限られているため、すぐにやり尽くしてしまったのだ。次にメイク男子チャンネルに切り替えると、登録者数は50万人ほどまで増加した。

その後、流行したのがカップルYouTuberだった。しかし、単にカップルYouTuberとして活動するだけでは差別化が難しいと考えたヴァンビ氏がテーマにしたのは「男女の友情」だった。付き合うか付き合わないかの微妙なラインを常に描き続けるというコンセプトだ。様々な女性とコラボレーションを試みる中で、特に数字が際立っていたのがゆん氏だった。彼女とコラボすると再生回数が飛躍的に伸びたため、「正式に組んでほしい」と依頼した結果、「ヴァンゆんチャンネル」として活動を開始し、初めて登録者数100万人を突破した。

「カメレオンYouTuber」としての進化と新たな挑戦

カップルチャンネルで成功を収めたヴァンビ氏だったが、動画活動歴が長くなり、20代後半になるとティーン層の視聴者が離れていく傾向を感じた。そこで、「長く生き残っているチャンネルは何か」を分析し、トップYouTuberが小学生に支持されていることに気づいたという。小学生から見始めて、中学、高校と継続して視聴してもらうことで、総視聴時間が長くなるのだ。

この分析に基づき、「小学生向けコントチャンネル」へとジャンルを切り替えた。この試みも大きな成功を収めたが、ゆん氏の結婚によりヴァンゆんは解散することになった。次の展開を模索する中で目をつけたのが、当時流行し始めていたTikTokのショート動画だった。スパイダーマンのコスプレをして非言語のお笑いショート動画を投稿する「スパイダーメーン」として活動を開始し、これが日本最速での登録者数1000万人達成へと繋がった。

バンド活動時代に痛感したのは、「売れなければ意味がない」ということだ。どんなに音楽が好きで、音楽をやっていることが幸せだと感じていても、活動を続けるには資金が必要だからだ。YouTuberになってからは、「まず売れてから、本当にやりたいことをやればいい」と考えるようになったという。一度売れて信用や信頼を築いた後であれば、「こういうものをやりたい」と表明しても受け入れてもらいやすくなるはずだと語る。だからこそ、ヴァンビ氏は「絶対的に売れる」ことに焦点を定めて活動してきた。

成功の原動力となった「黒い太陽」と真の夢

ヴァンビ氏は男ばかり6人兄弟の母子家庭で育ち、極めて貧しい幼少期を送った。欲しいものが手に入らない、やりたいことができない、そういった経験が、彼の最も大きな原動力である「劣等感」を育んだ。「黒い太陽」と表現されるその感情が、常に彼を駆り立ててきた。

小学生の頃は貧乏が周りにバレるのが一番嫌だった。常に兄のお下がりを着ていたり、給食費が払えず昼食を抜くことがあったため、周りにはおよそ察しがついていたという。それを「腹減ってないんだよね」とか「アレルギーが多いから食べられない」といった言葉でごまかしていた。

「周りの人はあんなに幸せそうなのに、なんで俺はこんな家に生まれてしまったのだろう」と毎日考えていた。そして「このまま終わることは絶対に許さない」と誓ったという。中二病のようだが、「俺がアニメの主人公だとしたら、今は絶望的な状況かもしれないけど、これは今後いつか大きな成功を遂げるためのエネルギーを蓄えている時期なんだ」と思って生きていたと振り返る。いつか絶対成功するという根拠のない自信だけは常に持っていた。その自信が打ち砕かれたのが、バンドでの失敗だった。自分は天才ではないと嫌でも気づかされる瞬間が多くあったという。常に自分より上の存在が数多くいたからだ。

それでも、ここで終わるわけにはいかない。「やりたいことで売れる世界線はもうない」と悟ったからこそ、「目的を達成するためなら手段は選ばない、何をやってでもたどり着いてやる」という発想に転換した。劣等感が蓄積し、巨大なエネルギーとなっていた、禍々しい「黒い太陽」が彼の原動力だったのである。

YouTuberとしても挫折はあった。何回も辞めようと思った経験があるという。常に数字が見える世界であるため、精神的に病んでしまうYouTuberは多い。人気YouTuberの引退や活動休止が頻繁にニュースになるのもそのためだ。例えば登録者数100万人、動画再生数100万回を達成しても、その数字が下がっていくことに強いストレスを感じる。自身の人気度が常に数字として突きつけられる状況は辛い。数字が下がっていることを周囲に指摘されるのも苦痛だという。

動画を投稿した後、タイトルやサムネイルを変えたり、アナリティクス画面に12時間張り付いて数字をチェックしたりと、常に数字に囚われ、気が張った状態の中で精神が擦り減っていった。「こんな日々がいつまで続くのだろう」と感じていた時期もあった。

登録者数100万人を超えてからの最高月収は4000万円にも達したという。その経験から「お金では幸せになれない」ということに気づいた。もちろん、母に「もう働かなくていいよ。俺が面倒見るよ」と言えるなど、金銭的な豊かさによる良い変化もあったが、それもすぐに慣れてしまうのだという。毎日夕食がステーキだと飽きるのと同じだと例える。あれほど憎んでいた貧乏を克服し、当時自分を馬鹿にした人々の何倍も稼げるようになっても、心には穴が空いたままだった。それでも、身体と精神が限界でもヴァンビ氏は勝手に前に進んだ。これは「渇望」だったと分析する。

ヴァンビ氏の夢は、人気YouTuberになって稼ぐことではない。歴史に名を残すことなのだ。自身が亡くなった後に、誰かが「こういう人がいたんだ」と後を追ってくれるような存在になること。父が亡くなった後、父が出演する舞台のビデオを見て泣いていた母の姿が、ずっと心の中にあったという。何かを「残す人」になるのが夢であり、そこにたどり着くための手段は俳優でもバンドでもYouTuberでも何でも良かったのだ。

新たな挑戦:SNSスクール「HERO’ZZ」と未来への展望

現在、ヴァンビ氏は非常に幸せだと語る。「人、時間、お金」が揃っているからだという。バンドマン時代は「お金」はなかったが「仲間」はいた。しかし忙しさから「時間」がなかった。YouTuber時代は「お金」はあり「仲間」もいたが、やはり忙しすぎて「時間」がなかった。何か一つが常に欠けている状態が続いていたのだと振り返る。

転機となったのはスパイダーメーンでの活動だった。ヴァンゆん解散後、次の挑戦として「スパイダーメーンで日本最速記録を作る」という計画を立てた。この時期が最も精神的に追い詰められていたという。円形脱毛症が7個ほどでき、髪が抜け落ちていた。「ハゲ散らかっていた」と表現する。精神科で鬱病と診断されたが、記録に挑戦している最中だったため一日も休めなかった。身体は限界の警告を発しているのに、立ち止まることができない。黒い太陽を燃料に、ボロボロの身体を引きずりながら前に進んでいくような状態だった。

「もう辞めようよ」「死んでしまうよ」と、多くの人から止められたという。そんな中で支えになったのは兄弟の存在だった。ある日、撮影日にもかかわらず部屋から出られず、泣きながら布団にくるまっていたヴァンビ氏を、兄が布団から引っ張り出し、富士山まで連れて行ってくれたという。車を運転してくれながら「俺は人生で困ったときは富士山に行くんだ」と話を聞かせてもらった。富士山を見ながら涙が止まらなかった。「とりあえず、もう一回頑張ってみよう」と心に誓った瞬間だった。

「つらいけど、この先にはきっと何かがある」と信じて日本最速での1000万人突破という記録を達成したことで、数字に対する劣等感がなくなったという。「自分より登録者数が多いYouTuberはたくさんいる」という劣等感が消え、肩の荷がふっと一気に下りたのを感じた。身体は正直で、ひどく抜けていた髪が生えてきて、つけ毛やカツラも必要なくなったそうだ。しかし、「黒い太陽」はまだ消えていない。彼の物語はまだ終わっていないのだ。

スパイダーメーンは、ヴァンビ氏自身のビジュアルや知名度を一切使わずに成功した。つまり、ノウハウだけで成功したと言える。事前のリサーチやアカウント初期設計といった知識に徹底的にこだわり抜いて記録を作ったのだ。何か特別な才能があったからではなく、知識と経験があったからできたと認識した時、あることを思い出した。それは、様々な人から「SNSでバズるにはどうしたらいいか」という相談を受けていたことだ。

それまでそういった相談は全て断っていたが、自身がSNSに人生を救われた経験から、この知識を使えば数字に苦しんでいる人々を救えるのではないかと思いついた。こうして、インフルエンサーを育成するSNSスクール「HERO’ZZ(ヒーローズ)」を立ち上げた。

ヒーローズで教えているのは「成功率を高める」ための知識や技術だ。「こういうものが大衆に刺さる」「人の心を動かす」といった視点で指導を行っている。「わかりました。すぐやってみます」と素直に受け入れ、実践する生徒は圧倒的に成長が早いという。

「今やりたいことも大事だけど、これからやりたいことが見つかるかもしれないじゃないか。まだ自分の才能に出会っていないだけかもしれない」というスタンスは非常に重要だとヴァンビ氏は考える。多くの人々の夢を叶えられるのがSNSという仕事であり、そういう手助けができたらと考えている。

クリエイターは自己完結できる仕事だが、起業となると多くの人を動かす必要がある。クリエイティブは理解できても経営は分からないという課題に直面し、共に事業を行う仲間探しから始め、様々な経営者と会うようになった。そこに異なる種類のリスペクトを感じ、「起業家として名前を残す」ことも可能だと気づいたという。

ヒーローズから多くのスターを輩出することができれば、「学長ヴァンビ」として名を残せる。銅像が立つ日が来るかもしれない。だからこそ、ヒーローズの起業は、歴史に名を残したいというヴァンビ氏の夢にも繋がっているのだ。名前を残すための一つの手段がヒーローズでもある。

ヒーローズを立ち上げた背景には、もう一つの隠れたテーマがある。海外で絶大な人気を誇るYouTuber、ミスタービーストのような長編動画を海外で制作したいという願望だ。しかし、そのためには莫大な資金が必要であり、一個人のYouTuberでは不可能なレベルの費用がかかる。そこで、資金調達の手段としてヒーローズを起業しようと考えた側面もあった。

クリエイターとしてのヴァンビ氏と、起業家としてのヴァンビ氏が融合するのが来年だと語る。起業家として培ってきたマネタイズなどの知識、技術、経験が、クリエイターとしてのそれらと交わる。過去最大規模の挑戦を計画しており、平均再生回数1000万回を目指すような、海外の長編動画で成功を収めている日本人YouTuberはまだいないため、そのポジションを取りに行きたいと考えている。

これまで「黒い太陽」に引きずられるような感覚もあったが、様々な条件が整い始め、精神状態も安定していく中で、黒い太陽を自らの意思で使える時が来れば、それが自分が最も強くなるときだと信じている。それを来年に実現したい。死ぬまで、ヴァンビ氏の挑戦は続くのである。


参考文献

  • FRIDAYデジタル (掲載元)
  • Source link (Yahoo!ニュース掲載記事)