6月20日、TOKIOの国分太一に複数のコンプライアンス上の問題が発覚し、25日にはグループの解散が発表された。この一連の出来事の中で、最年少メンバーである松岡昌宏が見せた対応が大きな注目を集めている。その迅速かつ誠実な態度は、株式会社TOKIOの代表取締役社長であるリーダー城島茂をも凌ぐものだとして、各方面から称賛の声が上がっている。この度報じられた内容をもとに、TOKIO解散に至る経緯と、その渦中で松岡が見せた「紳士的」な振る舞いに迫る。
国分太一のコンプライアンス問題発覚と松岡昌宏の対応
今回のTOKIO解散は、国分太一に発覚したコンプライアンス違反の問題が直接的な引き金となった。問題発覚後、メンバーの中でも特に迅速な動きを見せたのが松岡昌宏だった。スポーツ紙記者は、その当時の様子を以下のように語る。
「松岡さんは当時、主演舞台『家政夫のミタゾノ』の地方公演中でした。国分さんの問題が報じられた翌日の21日には、石川県金沢市での公演を終えた後、駆けつけた報道陣に対し、帽子を取って深々と頭を下げたんです。」
また、解散が正式に発表された後の対応も早かった。25日の解散発表を受け、翌26日までに、TOKIOが長年関わってきた日本テレビ系の人気番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の名物企画「DASH村」と深い関わりを持つ福島県の担当者に対し、電話で直接謝罪を入れたという。長年培ってきた関係性を重んじ、自ら責任ある行動をとる姿勢が見て取れる。
報道陣への「ぶら下がり」取材で語ったこと
さらに注目すべきは、27日に愛知県で行われた公演のリハーサル後、松岡昌宏が約20分間にもわたり報道陣の取材に応じたことだ。これは事前に設定された記者会見ではなく、文字通り報道陣の前に立ち止まって質問に答える「ぶら下がり」と呼ばれる取材形式だった。
「松岡さんは、報道陣からの率直な質問に対し、元メンバーの長瀬智也さんや山口達也さんにはまだ解散の連絡を入れておらず、彼らからも連絡は来ていないことを明かしました。また、国分さんからは『本当に申し訳ない』という謝罪の言葉があったことも率直に話していました。国分さんのコンプライアンス違反の具体的な内容については、松岡さんだけでなく城島さんも詳細は把握していないようでしたね。ただ、番組内で国分さんが共演相手にキレる、といったことはなかったと強く否定していました。いずれにしても、メディアの前に臆することなく自ら出てきて、正直に現状と自身の考えを述べるその姿勢は、まさに『紳士』と言うべきでしょう。」(前出・スポーツ紙記者)
[TOKIO解散の報道を受け、石川県金沢市での公演後に深々と一礼する松岡昌宏]
X(旧Twitter)などのSNSでは、この松岡の対応に対し、「最年少なのに一番しっかりしている」「兄貴肌で頼りになる」「トラブルのしわ寄せが大変だろう」といった、彼の誠実さや苦労をねぎらう声が多数寄せられている。
メンバー間の年齢差が影響?31年の歴史に幕
TOKIOは、旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP./STARTO ENTERTAINMENT)の中でも、メンバー間に比較的大きな年齢差があるグループとして知られていた。エンタメ系ライターは、その構成がグループ運営の難しさにつながった可能性を指摘する。
「TOKIOは1994年にデビューし、31年の活動に幕を下ろしました。リーダーの城島茂さんは1970年生まれ、最年少だった長瀬智也さんは1978年生まれと、実に8歳もの年齢差がありました。松岡さんは1977年生まれで、下から2番目です。例えばSMAPは年長の木村拓哉さん、中居正広さんと、年少の香取慎吾さんの年齢差が4歳でしたし、V6は岡田准一さんと坂本昌行さんの間に10歳の差がありましたが、カミセンとトニセンというユニットに分かれて活動していました。一つのグループ内で8歳もの年齢差があるTOKIOは、価値観の違いや意見の調整が他のグループより難しかったのではないでしょうか。」
2021年3月の長瀬智也の脱退も、山口達也の脱退後、音楽活動ができないことへの不満が一因だったとされている。長瀬の音楽への強い想いに対し、残る年長の3人が応えきれなかった背景があったのかもしれない。長瀬脱退後、松岡が実質的な最年少メンバーとなった。
31年という長い歴史を持つグループが、国分太一のコンプライアンス問題発覚という突然の事態をきっかけに、あっけなく解散に至ったことは、多くのファンや関係者に衝撃を与えている。