NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、出版人・蔦屋重三郎(蔦重/横浜流星)の生涯が描かれています。特に、日本橋進出を巡る展開で登場する丸屋の女将「てい」(橋本愛)は、その個性的な人柄と外見で注目を集めています。蔦重の熱意をかたくなに拒んでいたこの「てい」という女性は、果たして史実に基づいているのでしょうか?ドラマでの描かれ方と、わずかに残る史実を比較検証します。
日本橋への進出と「てい」との出会い
天明3年(1783年)9月、蔦重は長年の念願だった日本橋通油町への進出を果たしました。これは地本問屋の丸屋を買い取ることによるものでした。吉原者が市中に家屋敷を持つことを禁じるお達しがありましたが、田沼意知(宮沢氷魚)の計らいでこれをクリアしています。
しかし、丸屋の娘で女将の「てい」は、蔦重への店譲渡をかたくなに拒んでいました。彼女は黒縁の大きな丸メガネをかけ、教養は深いものの、人付き合いを苦手とする堅物として描かれています。
NHK大河ドラマ『べらぼう』で蔦屋重三郎の妻「てい」を演じる橋本愛さん。個性的な黒縁丸メガネをかけている姿。
浅間山噴火、火山灰を「恵み」に変えた蔦重
そんな折、浅間山噴火が発生し、江戸の町には大量の火山灰が降り注ぎます。この困難に対し、蔦重は火山灰を「恵みの灰」と捉え、逆境を活かす姿勢を見せました。まず、吉原の遊女たちが着古した着物を日本橋に運び、屋根や雨樋が灰で詰まるのを防ぐために活用しました。
さらに、奉行所から出された「灰を速やかに処分せよ」というお達しに対し、蔦重は町の人々に協力を呼びかけます。道の左右に分かれてどちらが早く作業を終えられるか競争させるというユニークな提案を実行し、退屈な作業を面白いものに変える工夫を凝らしました。この一連の出来事を通じて、蔦重はついに「てい」の心を動かし、彼女の信頼を得ることに成功したのです。
「てい」は蔦重の妻になったのか?史実との比較
信頼を得た「てい」は「店を譲るなら蔦重さんのような方に」と心境の変化を見せ、蔦重から女房にならないかと提案されます。蔦重は力を合わせて店を良くしたいと協力を求めますが、「てい」は「日本橋では店(みせ)ではなく店(たな)」「俺ではなく私」と応じ、最終的に商売のための夫婦となります。ドラマでは「てい」が「色々あって、もう男はこりごり」と語る理由も示唆されます。
さて、この「てい」という女性がどの程度史実に基づいているかですが、実は蔦重の妻子の詳細については、史実としてほとんど分かっていません。江戸時代の町人には、武士のような系図を残す習慣がなかったためです。
ただ、蔦重の菩提寺である台東区東浅草の正法寺には、僅かな記録が残されています。その過去帳に記された「錬心院妙貞日義信女」という戒名が、蔦重の妻のものとされています。この戒名に含まれる「貞」という文字が、彼女の実名であった可能性は高いと考えられています。したがって、ドラマで妻の名が「てい」とされているのは、妥当性があると言えるでしょう。正法寺が配布する説明書きにも、「錬心院妙貞日義信女(蔦屋重三郎妻 おてい)」と記されており、通称として「おてい」と呼ばれていたことがうかがえます。
彼女の命日は文政8年(1825年)10月11日であり、夫である蔦重が寛政9年(1797年)5月6日に没した後、実に28年以上にわたって生き永らえたことになります。
まとめ
NHK大河ドラマ『べらぼう』に登場する蔦屋重三郎の妻「てい」は、個性的なドラマ設定と史実が織り交ぜられています。堅物で教養深い女性として描かれるその人物像は、正法寺に残る限られた記録に基づきつつ、蔦重という稀代の出版人を支えた女性の姿を想像力豊かに描いたものと言えるでしょう。