〈「暴力団許すまじ」駅のホームで突き落とされそうになったことも…最愛の娘をヤクザに殺された主婦が「ヤクザの組長」に勝利するまで「ここからが始まりです」(昭和60年)〉 から続く
「私は暴力団を社会から追放するために闘い続けます。それが、まやの本当の仇討ちです」――ヤクザの抗争に巻き込まれたことで、最愛の娘を奪われた堀江ひとみさん。その後、暴力団排除のために半生を捧げた彼女。ついには法律まで変えたその最期とは……。我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊 『世界で起きた戦慄の復讐劇35』 (鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全4回の4回目/ 最初 から読む)
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4000万円を使って「まや基金」を設立
その言葉どおり、彼女は以後、暴力団排除のため活動に尽力する。まずは和解金(4千万円)を使い「まや基金」を設立。被害者家族を支援するための取り組みである。そのうえで「暴力団被害者の会」を結成。娘の位牌を抱きながら全国で講演会を行い、暴力団排除を訴えた。警察は万が一に備え、彼女を警護し続けた。
こうした命がけの活動も影響してか、2004年12月に被害者の支援や保護を目的とした「犯罪被害者等基本法」が成立。
3年後の2007年には、政府が出した「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」や、各自治体の「暴力団排除条例」などにより、暴力団関係者が銀行口座を作ったり、不動産の契約などが困難になる。さらに2008年に暴対法が改正、組織トップの責任が明記され、実際に被害に遭ったヤクザの組長を訴え、勝利する例も増えていく。
一方、ひとみさんにはショックな出来事もあった。刑事裁判後、彼女のもとには実行犯の男から手紙が届き「こんな形でしか供養できず、すまなく思っています。刑務所で汗を流して得たきれいなお金です。まやちゃんに花を供えてください」と、現金が同封されていた。
しかし、出所が近づいた2004年ごろから男は三度証言を覆し、組長の指示ではなく自分の判断による犯行だったと主張。弁護士らが証言を訂正するよう求めていたが応じなかったばかりか、男は出所後の2006年8月に恐喝容疑で逮捕される。