日本が誇る野球界のレジェンド、長嶋茂雄氏が、その89年にわたる野球人生と、年齢を重ねてもなお輝き続ける秘訣について語りました。特に注目されるのは、74歳の時に彼が口にした「野球は天職だった」という言葉、そして「絵を愛し、美術館に足を運ぶような好奇心がシニアになっても気持ちの若さを保ってくれた」という洞察です。これは、単なるアスリートの引退後の生活を超え、いかにして充実したシニアライフを送るかという、多くの日本人にとって共通のテーマに光を当てるものです。
68歳で脳梗塞を経験し「健康の価値」を再認識
長嶋氏は、68歳で突然の脳梗塞に見舞われ、健康の真の価値を深く再認識したと語ります。彼は若い頃から自身の健康管理に細心の注意を払ってきたことで知られています。例えば、1970年には風邪で喉を痛めたことを機に喫煙をやめ、飲酒もほとんどせず、食事も腹八分目を心がけるなど、徹底した自己管理を実践してきました。「ファンのためには休めない」という強い職業意識に加え、心身ともに健全である状態を保つことが、彼にとって本能に近い感覚だったといいます。現役時代の身長177センチ、体重77キロという体型は今も変わらないものの、それでも病に倒れた経験は、健康に対する過信を捨て、日々の前進と前向きな気持ちがどれほど重要かを彼に教えてくれました。
長嶋茂雄氏の肖像。「野球人は1年ごとに若返る」という彼の哲学を象徴する。
天職「野球」と尽きぬ「好奇心」が若さの源
仕事熱心だった人が引退後、日々の張り合いを失い老け込んでしまうという話はよく聞かれます。しかし、長嶋氏はそうはなりませんでした。その最大の理由は、彼にとって野球がまさに「天職」であったという幸運です。レギュラーシーズンからポストシーズン、オフのストーブリーグ、キャンプ、オープン戦と、年間を通じて野球は彼に刺激を与え続けました。たとえプレーや指揮の現場を離れても、心の底では常に野球と一体であり続けることができたのです。
さらに、長嶋氏の精神的な若さの源となっているのは、人一倍旺盛な好奇心です。「アンテナがいつもクルクル回っている」「野次馬精神旺盛」と自ら語るように、彼は年齢に比べて気持ちが若いと実感しています。その好奇心を示す具体的なエピソードとして、2003年のアテネオリンピック野球日本代表監督時代、翌年の本番に向けた時差調整地の事前調査のため、9月にスタッフ数名と共にイタリアへ飛んだことが挙げられます。このように、常に新しいことに目を向け、行動を起こす姿勢こそが、彼を活動的に保つ秘訣と言えるでしょう。
まとめ:前向きな姿勢と情熱が人生を豊かにする
長嶋茂雄氏の経験は、シニア世代が充実した日々を送るための貴重な示唆に富んでいます。予期せぬ病を経験してもなお、「毎日が前進」という前向きな姿勢を貫き、自身の天職である野球への情熱と尽きることのない好奇心を持ち続けること。これらが、彼が「気持ちの若さ」を保ち、人生を豊かに生きるための鍵であることが明確に示されています。年齢や状況に関わらず、情熱を燃やし、常に新しい刺激を求める心が、私たち自身の可能性を広げ、生き生きとした毎日へと導く教訓と言えるでしょう。
参考文献
- 長嶋茂雄『野球人は1年ごとに若返る』(KADOKAWA)
- Yahoo!ニュース (元記事: PRESIDENT Online)