吉川晃司、被爆80年の広島への思いを語る:故郷の復興と平和へのメッセージ

2025年8月6日、広島への原爆投下から80年という節目の日を迎え、テレビ朝日系「大下容子ワイド!スクランブル」は、広島県出身で自身も被爆2世である歌手・俳優の吉川晃司(59)への特別インタビューを放送しました。長年にわたり音楽活動を通じて平和へのメッセージを発信し続けてきた吉川晃司が、故郷広島への深い思いと、世代を超えて受け継がれる復興の精神について語りました。

被爆80年を前に、テレビ番組で平和への思いを語る歌手で俳優の吉川晃司氏。2016年5月撮影時の写真。被爆80年を前に、テレビ番組で平和への思いを語る歌手で俳優の吉川晃司氏。2016年5月撮影時の写真。

故郷・広島を巡る軽妙なやり取り:大下アナとの意外な接点

インタビュー冒頭では、奇しくも広島出身であるインタビュアーの大下容子アナウンサーと吉川晃司との間で、和やかな地元トークが繰り広げられました。大下アナが自身の兄が吉川の出身高校の2年後輩であることを明かすと、吉川も「じゃあ、当時は学校で(会っていたかも)」と驚きを見せました。

大下アナは、当時「超有名人」だった吉川との遭遇に兄がどれほど喜び、「吉川さん足がここまであった」と、その抜群のスタイルに感銘を受けていたエピソードを紹介。これに対し吉川は「ほんまに?」と嬉しそうに返答しました。さらに、大下アナの兄が今も吉川の大ファンで、コンサートに足を運び、吉川が着ていた黒いシャツを真似て購入するほどの熱狂ぶりを明かすと、吉川晃司はカメラ目線で「夏は暑いけ、やめた方がいいえよ、お兄ちゃん」と、故郷の言葉でユーモラスなメッセージを送り、スタジオの笑いを誘いました。

被爆2世としての原点:戦後80年と広島の奇跡的な復興

原爆投下から80年という節目に、吉川晃司は被爆2世として、自身の視点から広島の復興と平和への思いを語りました。彼は今年で還暦(1965年8月18日生まれ)を迎えることに触れ、「戦後20年で生まれているんですよね」と自身の生い立ちを振り返りました。

吉川晃司は幼少期の広島の記憶を辿り、「物心ついたころには、すでに周りにそういうね、戦争の、これが跡なんだなっていうのをあまり見た記憶がない」と述べました。この言葉は、壊滅的な被害を受けた広島が、わずか20年という短期間で驚異的な復興を遂げた事実を物語っています。彼は、「改めて思うと、20年でこんなに街がキレイに生まれ変わった。それは我々の祖父母の世代の方々、両親の世代が本当に頑張って、造り直されたんだなっていう思いはすごいしますよね」と、原爆の惨禍から故郷を再建した祖父母や両親世代の計り知れない努力と、その精神に対する深い感謝と敬意を表明しました。

結び

吉川晃司氏の言葉からは、被爆地広島で生まれ育った者としての平和への強い願いと、先人たちの不屈の精神への敬意がにじみ出ていました。彼のメッセージは、原爆の記憶を風化させず、平和の尊さを次世代へと継承していくことの重要性を私たちに改めて問いかけます。80年という節目を迎え、広島が示す復興の軌跡は、世界に平和のメッセージを発信し続ける象徴であり続けるでしょう。

参考文献

吉川晃司、被爆80年の広島への思い語る「祖父母の世代、両親の世代が本当に頑張って造り直された」