かつて人気バラエティ番組で絶大な存在感を放ち、「ダジャレの帝王」として国民的スターの座に駆け上がった田代まさし氏(68)。シャネルズ(後のラッツ&スター)の一員として24歳でメジャーデビューを飾り、デビューシングルはミリオンセラーを記録するなど、その華々しい芸能人生は多くの人々を魅了しました。しかし、2000年以降、覚醒剤取締法違反などで計5回の逮捕を経験し、そのキャリアは一変。直近では約2年間の刑務所生活を終え、2022年10月下旬に出所、2024年末にはようやく地上波テレビ番組への復帰を果たしました。では、一体何が彼をそこまで追い詰め、薬物という選択に手を染めさせてしまったのでしょうか。この夏、自身の体験を綴った書籍『こころの処方箋』をAmazonで出版する田代氏が、その内面と「生きづらさ」について語ります。
薬物依存からの回復を語る田代まさし氏。新著『こころの処方箋』出版に際してのインタビューに応じる姿。
「才能」の葛藤と「努力」の限界
田代氏が初めて「生きづらさ」の壁にぶつかったのは、2001年に初めて薬物に手を出した時だったと言います。芸能界において、志村けん氏のような第一線で活躍するスターたちと共に仕事をし、「売れる」こと自体はある意味では容易だったと振り返ります。しかし、本当に難しかったのは、「売れ続けること」でした。
「ダジャレの帝王」とまで称され、トップまで上り詰めた彼を襲ったのは、その地位をどう維持していくかという計り知れない恐怖でした。「いつまで毎日面白いことを考え続けなければならないのか、明日もまた面白いことを生み出せるのだろうか」――。一発屋で消えていく者が数多く存在する世界で、常に新しいものを生み出し続けなければ生き残れないというプレッシャーが、彼の肩に重くのしかかりました。
「もう自分には無理かもしれない」そう思い詰めたとき、彼は自身の「才能の欠如」を痛感したと言います。「俺には持って生まれた才能はない。努力で頑張ってきたタイプなんだ」。何も生み出せず、努力し続けることが辛くなった。まさに心が弱り切ったその瞬間に、「いいのありますよ」と薬物が彼の人生に忍び寄ってきたのです。
志村けん氏から見た「100を出すな」の真意
「ご自身に才能はないと思っていたのか」という問いに対し、田代氏はこう答えます。「僕は、夜の仕事をしていた母の、人を楽しませたいという気持ちを受け継いだと思っているんです。それはラッキーでした」。しかし、売れるスピードがあまりにも早かったため、あっという間に自身が「空っぽ」になったと感じたと言います。
新たなものを吸収しなければ、何もアウトプットできない。だからこそ、多くの映画を観て、様々な本を読み、数々の演芸を鑑賞しては学びを深めました。それでも、創造のスピードに追いつかなくなる感覚に苛まれました。
特に影響を受けたのは、親交の深かった志村けん氏の存在でした。志村氏は並外れた勉強家であり、常に学びと並行して毎週のように新しいコントを創り出していました。その姿を間近で見ていたからこそ、田代氏の心には自分に対する深い絶望がよぎるようになったと言います。そして、この絶望感が生まれた瞬間こそが、薬物に近づいた決定的な転機だったと告白します。
志村氏からは、こんな言葉をかけられたこともあったそうです。「お前はいつも100を出そうとしている。70の力でいいんだよ」。続けて、「100を出そうとするから、周りが見えなくなる。70ぐらいの気持ちでやっていると、周りがよく見えて、気がつくと100以上の力が出る時があるんだ」と。田代氏から見れば、志村氏自身こそ常に100以上の力で活動しているように見えたため、「いやいや、あなたは100以上でやってるじゃないですか」と心の中で思ったそうです。この言葉は、田代氏が背負っていた計り知れないプレッシャーと、完璧を求める故の孤独を浮き彫りにしています。
まとめ
田代まさし氏が語る「生きづらさ」と薬物依存への道のりは、華やかな芸能界の裏側に潜む精神的なプレッシャーと、自己の才能に対する葛藤の物語です。彼が感じた「努力の限界」と、心が弱った瞬間に忍び寄る薬物の誘惑は、社会が抱える依存症問題の深層を浮き彫りにします。志村けん氏の言葉「70の力でいい」は、完璧主義に陥りがちな現代社会への警鐘とも捉えられ、肩の力を抜くことの重要性を示唆しています。田代氏の出版する新著『こころの処方箋』は、彼の深い内省と、同じような苦しみを抱える人々へのメッセージとなることでしょう。
参考文献
- 田代まさし氏(68)が語った「生きづらさ」 「才能」はない。努力し続けるのが辛くなった – Yahoo!ニュース / NEWSポストセブン