長岡の花火師・嘉瀬誠次と戦友会の記憶:消えゆく絆とその意義

長岡の著名な花火師であり、2023年に逝去された嘉瀬誠次氏は、戦後、旧陸軍松輪島部隊に配属された将兵たちで結成された「松輪島を偲ぶ会」で熱心に活動されました。彼の長男である晃さん(66)も、父に連れられて会合に参加した経験があります。「生死を共にした者だけが持つ、非常に強い結びつきを感じた」と晃さんは当時の記憶を語ります。

長岡の花火師で戦友会活動に尽力した嘉瀬誠次氏(2015年撮影)長岡の花火師で戦友会活動に尽力した嘉瀬誠次氏(2015年撮影)

戦友会が育んだ特別な絆と集いの光景

「松輪島を偲ぶ会」は、年に一度、新潟県内の温泉地やホテルに集い、宴会を開いていました。集いの中心となる話題は、常に戦時中の思い出でした。晃さんは、普段は威厳のある父が、会合では「誠次君、ビールないよ」「はい!」と若年兵に戻り、「将校さん」の下で駆け回る姿が、どこか珍しく、微笑ましく映ったと振り返ります。戦友会は、出身部隊、艦船、学校、あるいは同期といった様々な縦横の繋がりから組織されており、その絆は非常に強固なものでした。

戦友会の現状:消滅への道と研究の視点

こうした戦友会の実情を探るため、研究者らによる「戦友会研究会」(現・ミリタリー・カルチャー研究会)は、これまで3度にわたり大規模な調査を実施してきました。最新の2005年の調査では、3625の戦友会の世話人らにアンケートを送付し、会の状況を尋ねました。その有効回答679件のうち、「存続」していると回答したのはわずか33%に留まりました。「解散」が43%を占め、「不明」も24%に上ることが明らかになりました。この調査からさらに約20年が経過していることから、研究会の代表を務める吉田純・京都大名誉教授(社会学)は、「軍隊体験をした人々による活動は、ほぼ終息している」との見解を示しています。

日本独自の「記憶の貯蔵所」としての戦友会

戦友会の主な活動目的は、「慰霊、親睦、体験の語り合い」にあります。このような元兵士のグループは海外にも存在しますが、「数や規模、そしてメンバーが注ぐ情念の強さといった点で、日本独特の現象と言っても過言ではない」とミリタリー・カルチャー研究会は指摘しています。この特異性の要因について、吉田氏は「戦争の全面否定から出発した戦後日本には、元兵士が自らの軍隊体験を語り、その意味を見いだせる場が社会的に提供されなかった。そのため、彼ら自身がそうした場を設け、活動するしかなかった」と分析しています。戦友会は、まさに「記憶の貯蔵所」としての役割を担ってきました。多くの会が、部隊史や会報の編纂を通じて、貴重な体験や記録を後世に残そうと努めてきました。自由記述式のアンケートにおいても、その詳細な体験談や心情を綴った世話人が多数存在します。

軍隊の現実を直視する意義:未来への視座

吉田純名誉教授は、これら膨大な資料を丹念に読み解いていくことが、「軍隊の現実を直視し、ひいては戦争や安全保障に対する国民の関心を呼び起こす契機になり得る」と大きな期待を寄せています。戦友会が紡いできた個々の記憶は、単なる過去の出来事ではなく、現代そして未来の日本社会が平和と安全保障を考える上で不可欠な、生きた教訓として価値を持ち続けているのです。

これらの貴重な「記憶の貯蔵所」が消えゆく今、その歴史的・社会的な意義を再認識し、記録された情報を次世代に継承していくことの重要性は、ますます高まっていると言えるでしょう。

参考資料

  • Yahoo!ニュース (YOMIURI ONLINE): 「家族の記憶<6>長岡の花火師・嘉瀬誠次さんと長男・晃さん(下)」 (オリジナル記事の参照元)
  • ミリタリー・カルチャー研究会 (旧 戦友会研究会) 調査報告書関連資料