地下鉄サリン事件30年:麻原彰晃の三女・松本麗華が歩む差別と希望の道

1995年、日本社会に深い傷跡を残したオウム真理教による地下鉄サリン事件から30年が経ちました。当時11歳だった松本麗華さんにとって、父・麻原彰晃は優しい存在でありながら、その凶悪な事件の首謀者として死刑執行されました。事件後、彼女は公立学校への入学拒否、就職困難、銀行口座開設の拒否など、想像を絶する差別に直面してきました。しかし、そのような困難な道のりを歩みながらも、彼女は新たな一歩を踏み出しています。現在公開中のドキュメンタリー映画を通して、そして心理カウンセラーとしての活動を通して、松本麗華さんが抱える葛藤と、そこから見出した希望について深く掘り下げていきます。

「アーチャリー」と呼ばれた少女の苦悩:消えた学校生活

オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した当時、松本麗華さんは11歳でした。教団内で育ち、無邪気な少女時代を送っていましたが、父親の逮捕を境にその人生は激変します。教団内で「アーチャリー」という呼称と「正大師」という最高位の地位にあったことから、一部メディアからは「後継者」として注目され、世間の目に晒されることとなりました。

松本さん自身は、「母も逮捕されたため、子どもたちは親戚に保護されることになりました。しかし、『三女アーチャリー』として騒がれていた私は預かってもらえず、きょうだいの中で唯一、教団に取り残されてしまったのです」と当時を振り返ります。学校に通うことを望んだにもかかわらず、教育委員会からの反対を受け、小学校にも中学校にも入学を拒否されました。16歳でオウム真理教およびその後継団体との関係を断ち切った後も、差別は続きます。大学からの入学拒否、就職先での解雇、海外渡航時の入国拒否、そして生活の基盤となる銀行口座の開設すらもできないといった厳しい現実に直面してきました。

2018年、彼女が愛情を注がれた父は、なぜ凶悪なテロリストとなったのかを語らぬまま、死刑が執行されました。この問いは、今も松本さんの心に深く刻まれています。

心理カウンセラーとしての新たな挑戦:過去と向き合い、他者を救う

松本麗華さんの苦悩に満ちた半生を描いたドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』(長塚洋監督)が現在公開されています。この映画は、麻原元教祖の死刑執行後の6年間にわたる彼女の活動を追った作品です。現在、松本さんは心理カウンセラーとして活動しており、自身の経験を活かして多くの人々の心の支えとなっています。

地下鉄サリン事件から30年、心理カウンセラーとして活躍する松本麗華氏。地下鉄サリン事件から30年、心理カウンセラーとして活躍する松本麗華氏。

「私と同じような犯罪加害者家族の方のほか、『死にたい』という大きな苦しみを抱えた方が相談に来られます。生きづらさを抱えてきた私だからこそ、彼らの気持ちを理解し、寄り添うことができるのではないかという思いで仕事を続けています」と松本さんは語ります。10代の頃には、人生への不安からリストカットやうつ病を経験したこともありました。しかし、信頼できる弁護士との出会いや、生活を支援してくれた元信者の存在が、彼女を前向きな道へと導きました。義務教育を受けられなかった松本さんは、通信課程で猛勉強し、複数の大学に合格するまでに至ります。心理学を学び、苦しむ人々の力になりたいという強い思いが原動力でしたが、最終的には「入学拒否」という壁にぶつかり、その喜びは再び絶望へと変わってしまいました。

松本麗華さんの人生は、壮絶な差別と困難の連続でした。しかし、彼女は自らの苦しみを他者の痛みに寄り添う力へと変え、社会に貢献しようとしています。その姿は、逆境の中でも希望を見出し、生きる意味を問い続ける私たちの心に深く響くでしょう。彼女の活動は、社会における加害者家族の課題や、差別がもたらす影響について再考する貴重な機会を提供しています。


参考文献: