石破首相、夏休みの勝浦訪問に隠された過去の教訓 – イージス艦衝突事故が問いかけるリーダーの姿勢

小中学生が夏休み終盤を迎える中、石破茂首相も公務の合間に一息つく時間を見出した。多忙を極める首相は、公邸で過ごす日々の傍ら、識者との会食やメディア対応に追われた後、毎年恒例となっている千葉県勝浦市への訪問を果たした。佳子夫人を伴ってのこの勝浦訪問は、かつて防衛庁長官時代を含め二度にわたり防衛トップを務めた石破首相にとって、「特別な場所」として知られている。この地が持つ深い意味は、18年前のある重大な出来事に遡る。

石破茂首相の横顔、公務の合間の訪問が報じられる石破茂首相の横顔、公務の合間の訪問が報じられる

「特別な場所」勝浦、その深い背景

石破首相が福田康夫内閣の防衛相に就任してわずか5カ月後の2008年2月19日早朝、千葉県南房総市沖で海上自衛隊の最新鋭イージス艦「あたご」と地元漁協所属の漁船「清徳丸」が衝突する痛ましい事故が発生した。全長約165メートル、基準排水量7750トンという巨大なイージス艦に対し、漁船は全長約16メートル、7.3トンと約10分の1の規模であった。この事故は当時、メディアで大きく報じられ、冬の海に投げ出された漁師2名の捜索は難航を極めた。事故発生から防衛大臣への報告まで90分もの時間を要したことも判明し、海上自衛隊の初動対応や不手際に対する批判が瞬く間に噴出した。

イージス艦衝突事故、メディアと世論の嵐

当時のメディア、特に朝日新聞をはじめとする一部の左派系メディアは、イージス艦側に責任がある可能性を強く指摘し、「気のゆるみがあったのではないか」「自衛艦側に責任がなかったとはいえまい」「目の前の漁船すらよけられないのなら、どうやって日本を守るのか」などと感情的な論調で海上自衛隊を糾弾した。ファクト確認よりも感情が先行したこれらの報道は、世論を大きく動かし、「海自悪し」とする風潮を形成していった。このような状況に対し、当時の石破防衛相の対応が、現在でも防衛省・自衛隊内で物議を醸している。

石破防衛相の「政治的判断」と組織への影響

事故からわずか2日後の2月21日、石破防衛相は勝浦を訪れ、亡くなった漁師の家族や漁協関係者らと面会した。「大変お騒がせしてご迷惑をおかけしました」と謝罪の言葉を述べた際、傍らには制服組トップである海上幕僚長以下、多くの幹部を伴っていたとされる。海上自衛隊の元幹部はこの時の対応を回想し、「責任の有無にかかわらず、大臣以下が哀悼の意を表すのは当然だが、衝突の原因が判然としない段階での謝罪だった」と指摘する。

石破防衛相のこの行動は、「海自悪し」と決めつける当時の世間の風向きを読み取り、「自身にとって政治的に有利な対応」を選んだものと見られている。組織のトップが、原因究明を待たずに組織への批判の先頭に立つ形となり、結果として海上自衛隊はより激しい批判に晒されることになったという。その後、あたごの乗員2名が業務上過失致死の容疑で告発されたが、事故から5年後には無罪が確定。加えて、漁船側に回避義務があったことが認定され、事故原因の責任はイージス艦側にはないとされた。

このような経緯から、永田町では石破首相に対し「後ろから鉄砲を撃つ」「自分だけ良い子になりたがる」といった評価が根強く存在している。これは、組織よりも自身の政治的立場を優先する傾向があるとの見方を示唆している。

現職首相としての石破氏、今後の展望

政治ジャーナリストの増田剛氏は、現在の石破首相の意向について、「本人は『行けるところまで行こう』と考えているようです」と解説する。現時点で約4割近くまで上昇した内閣支持率が最大のよりどころとなっており、首相の推進力となっている。一方で、裏金問題で処分された旧安倍派議員が自身の「下ろし」に動いていることに対しては、強い反発を示しているとされる。

自衛隊の最高指揮官たる石破首相の夏は、過去の教訓と現在の課題を抱えながら、今後も続いていく。


参考文献: