Kis-My-Ft2の千賀健永、宮田俊哉、二階堂高嗣の3人が、8月25日に放送されたフジテレビ系『ぽかぽか』に出演し、デビュー当時の「不遇エピソード」を明かしたことが大きな話題を呼んでいます。彼らの苦難の時代を支えたとされる中居正広氏の名前が番組内で一切言及されなかったことに対し、ファンの間で複雑な感情が広がっています。
Kis-My-Ft2千賀健永、中居正広、宮田俊哉の3人。舞祭組結成とグループ内の格差を乗り越えた瞬間
キスマイ「グループ内格差」と“後列メンバー”の苦悩
Kis-My-Ft2の結成当初から、グループ内で“後列”に位置付けられていたのは、千賀健永、宮田俊哉、二階堂高嗣、そして横尾渉の4人でした。芸能ジャーナリストによると、デビュー曲『Everybody Go』がリリースされた2011年8月、前列メンバーとは異なり、後列の4人のステージ衣装はJr.と同じ真っ黒で、バックダンサーのような扱いを受けていたといいます。千賀は当時を振り返り、「床と同じ色の服を着ていた」と笑いを交えながら語りました。
宮田俊哉もまた、歌唱中にほとんど画面に映らないため、「僕らの本業は歌う前のトーク」と割り切り、トークスキルを磨くことに注力したと明かしています。デビュー曲のミュージックビデオ(MV)では、照明とスモークによって後列メンバーの顔が判別できないという悲しい出来事もあったと紹介され、宮田は「これ、俺じゃなくてもいいっすよね」と苦笑しつつ、次のシングルのMV撮影が憂鬱だったと当時の心境を語りました。
中居正広プロデュース「舞祭組」誕生秘話とその功績
そんな“不遇”の状況にあった4人に目を向けたのが、中居正広氏でした。2013年、中居氏は4人をプロデュースし、「ブサイク」という仮称を与えました。その後、故ジャニー喜多川氏が漢字を当て、「舞祭組」として正式にCDデビューを飾ることになります。彼らの1stシングルは、中居氏が手がけた4人の存在感のなさを自虐的に歌い上げた『棚からぼたもち』でした。
この「冷遇ぶりを逆手に取る」という戦略は大きな評判を集め、舞祭組は単独ライブツアーも開催するほどの人気を獲得。結果として、Kis-My-Ft2内部でのグループ内格差を解消する大きなきっかけとなりました。中居氏の支援とプロデュースが、彼らが困難を乗り越え、独自の輝きを放つ上で不可欠な存在であったことは、ファンの間でも広く知られています。
『ぽかぽか』で中居正広の名が“禁句”に?ファン複雑な思い
しかし、8月25日放送の『ぽかぽか』では、舞祭組の話題に触れたにもかかわらず、その恩人である中居正広氏の名前が一切出ませんでした。この状況に対し、ネット上ではファンの複雑な思いが噴出しています。SNSには「舞祭組の話なのに中居くんの名前出せないの辛い」「中居くんの話出ないの淋しい」「舞祭組はタブーなの?」といった声が多数寄せられ、中居氏の名前がまるで“禁句”のように扱われている現状を嘆く様子が見られました。オンエアの裏側については、芸能プロ関係者も様々な憶測をしています。
Kis-My-Ft2のメンバーが経験した「不遇時代」と、それを乗り越える上で不可欠だった中居正広氏の存在。その歴史が語られる場で、中居氏の名前が言及されないことへのファンの悲鳴は、彼らの絆の深さと、芸能界における複雑な力学を浮き彫りにしています。