「あんぱん」が描くやなせたかしと手塚治虫の伝説的出会い:『千夜一夜物語』秘話とアニメ業界への貢献

2025年前期に放送される連続テレビ小説『あんぱん』は、「アンパンマン」の生みの親であるやなせたかしさんと妻の暢(のぶ)さんをモデルにした物語として注目を集めています。物語の終盤、第113話では、北村匠海さん演じる「柳井嵩」のもとへ、眞栄田郷敦さん演じる天才漫画家「手嶌治虫」から予期せぬ仕事の依頼の電話が入ります。しかし、嵩はやなせさんと同様に、これをいたずらだと誤解し、電話を切ってしまうという展開が描かれました。この出来事の背景には、日本の漫画・アニメ史に名を刻む伝説的な出会いが隠されています。

連続テレビ小説「あんぱん」で「マンガの神様」手塚治虫をモデルとした手嶌治虫役を演じる眞栄田郷敦さん。連続テレビ小説「あんぱん」で「マンガの神様」手塚治虫をモデルとした手嶌治虫役を演じる眞栄田郷敦さん。

「いたずら」と疑われた「マンガの神様」からの突然の依頼

ドラマで描かれた「手嶌治虫」のモデルは、その名が示す通り「マンガの神様」と称される手塚治虫さんです。やなせさんが自身の代表作の一つである『ボオ氏』を執筆していたとされる1967年当時、手塚さんはライフワークとなる大作『火の鳥』の制作に没頭していました。そんな中、手塚さんがやなせさんに直接電話をかけ、仕事を依頼したという事実は、当時の関係者にとっても驚きだったことでしょう。

実際の出来事もドラマの筋書きと酷似しており、手塚さんは1967年に突然やなせさんに電話をかけ、「今度日本ヘラルドと組んで長編アニメ(『千夜一夜物語』)をつくります。美術監督はやなせさんがいいということになりました。よろしく」と、一方的に依頼を持ちかけたといいます。やなせさんは、当時所属していた漫画家団体「漫画集団」の活動を通じて手塚さんと面識はあったものの、自分と手塚さんの間には「神様と毛虫、月とスッポン」ほどの差があると感じており、この依頼を最初は冗談だと思っていたそうです。しかし、後にプロデューサーの富岡厚司さんから改めて正式な依頼があり、やなせさんは東京の虫プロダクション制作現場へ通い始めることになります。

『千夜一夜物語』美術監督就任の舞台裏:手塚治虫がやなせたかしを選んだ理由

手塚治虫さんが設立したアニメ制作会社、虫プロダクションによる劇場アニメ『千夜一夜物語』は1969年に公開されました。やなせさんの自伝『アンパンマンの遺書』によると、富岡プロデューサーは起用の理由について、「虫プロは鉄腕アトムのイメージが強く、スタッフも子供アニメのキャラクターに馴れているので、キャラクターは大人漫画の人に依頼しようというので、いろいろ人選した結果やなせさんに決定したんです」と説明したそうです。これは、やなせさんの持つ、既存の子供向けアニメーションとは異なる、大人向けの洗練されたキャラクターデザイン能力に手塚さんが注目していたことを示唆しています。

やなせたかしの才能開花とアニメーション業界での飛躍

『アラビアンナイト』を下敷きにした『千夜一夜物語』において、やなせさんは美術監督として、フランスの名優ジャン・ポール・ベルモンドさんを意識した主人公「アルディン」をはじめ、数々の独創的なキャラクターを生み出しました。この経験を通じて、やなせさんは自身の「キャラクターをたくさん作る才能」に気付いたと語っています。

『千夜一夜物語』の大ヒットは、やなせさんのキャリアに大きな転機をもたらしました。この成功をきっかけに、手塚さんのポケットマネーで代表作の一つである短編アニメ映画『やさしいライオン』(1970年公開)を制作することになり、同作は第24回毎日映画コンクール・第8回大藤信郎賞、第12回児童福祉文化奨励賞を受賞するなど、高い評価を得ました。さらに、やなせさんはこの時期、手塚さんの天才的な仕事の早さを間近で体験し、徹夜続きの凄絶なアニメーション制作現場の過酷さを肌で知ることができたことも、貴重な経験だったと振り返っています。

朝ドラ『あんぱん』今後の展開と歴史的意義

『あんぱん』第114話では、手嶌治虫が直接柳井家を訪れるという展開が示唆されており、この歴史的な出会いがドラマの中でどのように描かれるのか、視聴者の期待は高まります。やなせたかしさんと手塚治虫さんのこの共同作業は、単に一つのアニメ作品を生み出しただけでなく、やなせさんのキャラクター創造の才能を開花させ、その後の「アンパンマン」誕生へと繋がる重要なステップとなりました。

このエピソードは、日本の偉大なクリエイターたちが互いに影響を与え合い、共に文化を築き上げてきた歴史を物語るものです。朝ドラ『あんぱん』を通じて、やなせたかしさんの知られざる挑戦と、日本のアニメーション黎明期の情熱が、改めて多くの人々に伝えられることでしょう。


参考文献