満州引揚げ93歳女性の叫び:「大人は卑怯だ」 戦争が奪った家族と幼き姉妹の過酷な逃避行

「大人は卑怯だ」。かつて満州(現在の中国東北部)で戦争の残酷さに直面した湯川(旧姓・伊藤)一子さん(93歳、京都府宇治市在住)は、今でもその思いを強く抱いています。13歳の少女だった彼女は、日本の降伏後、幼い妹たちと二人きりで満州を生き延びることを余儀なくされました。戦争がいかに人間の尊厳を奪い、幼い命に過酷な試練を与えるか、その記憶は湯川さんの脳裏に深く刻まれています。この記事は、彼女の体験を通じて、戦後の満州引揚げにおける苦難と、平和への願いを伝えます。

93歳になった湯川一子さんが京都府宇治市で平和を祈る様子93歳になった湯川一子さんが京都府宇治市で平和を祈る様子

湯川さんは京都市下京区出身の長女として育ちました。1945年4月末、彼女は家族6人全員で、京都市が募集した「平安郷開拓団」の一員として満州へ渡りました。入植先はハルビンから東へ約250キロ離れた舒楽鎮(現在の舒楽村)で、各家庭には住居や牛馬、広大な畑が与えられ、学校にも通うことができました。当時の生活は、戦争の影を感じさせないほど恵まれ、不自由のない日々が送られていました。

平和な日々から一転、ソ連侵攻の悲劇へ

しかし、1945年8月9日、その平和な日常は突然崩壊しました。ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告し、満州への侵攻を開始したのです。開拓団にいた18歳以上の男性は日本軍に召集され、湯川さんも父親と離れ離れになり、ソ連軍の猛攻から逃れるようにハルビンを目指すことになりました。

1945年、ソ連軍侵攻により混乱に陥った満州の様子を想起させる写真1945年、ソ連軍侵攻により混乱に陥った満州の様子を想起させる写真

8月16日正午頃、松花江を下る船の上で、ソ連軍機が上空を通過しました。「日本は負けた」と書かれたビラが舞い落ちる中、突如として無数の銃弾が降り注ぎました。機銃掃射により、船上に並ぶ日よけテントは無残に引き裂かれ、背中に弾を受け倒れる人々の姿が湯川さんの目に焼き付いています。船が沈み始めると、四姉妹は溺れないようテントの骨組みを必死につかみ、周りの身動きが取れない人々を横目に、流木にしがみついて九死に一生を得ました。長女として妹たちを守ることに精一杯だった湯川さんは、「日本に連れて帰ることしか考えていなかった」と語ります。しかし、船室にいたはずの母親の姿はどこにもなく、妹たちの「お母ちゃん、お母ちゃん」と泣き叫ぶ声だけが響いていました。

幼き命を繋ぐ過酷な逃避行

母親と離れ、子どもたちだけで生き延びる逃避行は想像を絶する過酷さでした。ソ連軍の攻撃により、食糧や衣類の多くを失った姉妹は、わずかなお金と道端に落ちている食料を拾い集め、飢えをしのぎました。しかし、末っ子の慧子さん(当時4歳)は百日ぜきと栄養失調に苦しみ、幼い命の危機に瀕していました。

湯川一子さんの経験は、戦争がもたらす悲劇と人間の残酷さ、そして過酷な状況下での幼い姉妹の必死な生還の物語を私たちに伝えています。彼女の「大人は卑怯だ」という言葉には、戦争がもたらした不条理と、子どもたちが背負わされた重すぎる責任への憤りが込められています。湯川さんが今も「戦争がなくなるよう毎日祈っています」と語るように、彼女の記憶は、二度とこのような悲劇を繰り返さないための、平和への強いメッセージとして、私たちに語りかけ続けています。この戦争体験者の貴重な証言を次世代に継承し、平和な未来を築くことこそが、私たちが学ぶべき最大の教訓と言えるでしょう。


参照元:
読売新聞 (Yomiuri Shimbun)
https://news.yahoo.co.jp/articles/fb3c96c5c94d83d1d859a2cfb4928b578a9b41e8