2025年8月10日、秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまが広島県を私的に訪問され、平和への深いメッセージを発信されました。このご訪問では、「原爆の子の像」のモデルとして知られる佐々木禎子さんの生涯を描いたミュージカルを鑑賞された他、被爆者の方々との交流を通じて、核兵器のない平和な世界の実現への願いを改めて示されました。戦後80年という節目の年にあたり、両殿下のご活動は国内外に大きな関心を集めています。
ミュージカル『PEACE ON YOUR WINGS』が伝えるメッセージ
両殿下が鑑賞されたのは、アメリカ・ハワイ州の子どもたちによるミュージカル『PEACE ON YOUR WINGS』です。この作品は、1945年8月6日の広島原爆投下により2歳で被爆し、10年後に白血病でその生涯を閉じた佐々木禎子さんの物語を描いています。病床で平和への祈りを込めながら折り鶴を折り続けた禎子さんの姿、そして彼女を支えた友人たちとの絆が、感動的に表現されました。
公演後、出演者たちと懇談された紀子さまは「意義深いことで感銘を受けました」と述べられ、佳子さまも「心に残りました」とその感動を伝えられました。両殿下は、舞台を通じて伝えられる平和の尊さと命の大切さに深く心を寄せられたご様子でした。
広島で原爆ミュージカルを鑑賞される秋篠宮妃紀子さまと佳子さま、平和への願いを込めて
広島での平和活動:慰霊と交流
ミュージカル鑑賞に続き、紀子さまと佳子さまは翌11日朝、雨の中、広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花し、深く拝礼されました。この慰霊碑は、原爆で命を落とされた方々の魂を鎮め、平和を願う人々の想いが込められた場所です。
その後、両殿下は平和記念公園内にある「原爆の子の像」を見学されました。この像は、佐々木禎子さんの死をきっかけに全国の子どもたちの募金で建てられたもので、平和の象徴として多くの人に知られています。さらに、市内にある広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を訪問。佳子さまが「何をされる時間が楽しいですか」と尋ねるなど、入所者の皆さんと心温まる懇談を交わされ、被爆者の経験に耳を傾けられました。
なお、紀子さまは、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の総合開会式にご出席のため、秋篠宮さまと共に7月23日から1泊2日で広島県を訪れ、原爆死没者慰霊碑に供花されたばかりです。佳子さまにとっては、成年皇族になられてから初めての広島ご訪問となり、その平和への強い思いがうかがえました。
佐々木禎子さんの物語と「原爆の子の像」の意義
佐々木禎子さんは、2歳の時に爆心地から約1.6キロ離れた広島市西区楠木町の自宅で被爆し、黒い雨にも打たれました。奇跡的に外傷はなく、スポーツが得意で中学校の体育教師になることを夢見るほど元気に成長されました。しかし、小学校6年生の時に突然病に伏し、白血病と診断され、広島赤十字病院への入院を余儀なくされました。
入院中、名古屋からの千羽鶴のお見舞いをきっかけに、禎子さんは「生きたい」という願いを込めて折り鶴を折り始めました。しかし、その願いもむなしく、体調は徐々に悪化。8ヶ月間の闘病の末、1955年10月25日、急性骨髄性白血病のため12歳で亡くなりました。この悲劇的な物語は、中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターの「佐々木禎子さんと原爆の子の像」でも詳しく紹介されています。
禎子さんが亡くなった3年後の1958年5月5日、平和記念公園に「原爆の子の像」が除幕されました。この像の建立を呼びかけたのは、禎子さんが通っていた幟町小学校6年生の同級生たちでした。彼らの呼びかけはやがて全国に広がり、たくさんの募金が寄せられました。広島市内の各学校の生徒会でつくる「広島平和をきずく児童・生徒の会」が結成され、募金活動が進められた結果、像は完成に至りました。「原爆の子の像」は、未来を担う子どもたちが二度と戦争の犠牲にならないよう、平和を訴え続けるシンボルとなっています。
今回の秋篠宮妃紀子さまと佳子さまの広島ご訪問は、佐々木禎子さんの物語と「原爆の子の像」が持つ平和への願いを再確認し、次世代へと継承していくことの重要性を強く訴えるものとなりました。皇室が被爆地に心を寄せ、平和を希求する姿勢を示すことは、国民の平和意識の醸成にも大きく貢献すると言えるでしょう。
参考文献
- 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター「佐々木禎子さんと原爆の子の像」
- Yahoo!ニュース(記事元リンク)