「ぽっぽ、ぽぽぽ」というフレーズで一世を風靡した『六本木〜GIROPPON〜』で知られる歌手、鼠先輩(52)。岡山での生い立ちから大阪でのバンド活動、世界を巡るバックパッカー経験を経てデビューに至るまでの彼の数奇な人生は、「今、自分がやりたいことをする」という強い信念に貫かれている。今回は、彼のその後の人生を形作った、特に壮絶な子供時代の貧困と、父親との複雑な関係に迫る。
「六本木〜GIROPPON〜」でブレイクした鼠先輩氏。壮絶な過去と父親との複雑な関係について語る。
激しい女遊びと借金を繰り返した父親との絶縁
鼠先輩の生い立ちは、極度の貧困に彩られていた。「汚い団地で、和室が二部屋。夏休みには友達と蟻を食べたり、セミを煮て食べようとしたりしていました。いつもお腹が空いていた」と彼は振り返る。カラーテレビは普及しておらず、白黒テレビではマリオとルイージの区別もつかないほどだったという。
そんな貧しい生活の中で、彼をさらに苦しめたのは、父親の存在だった。「女好きで、女のところに毎日入り浸り。酒の席では格好つけて金を使い、ギャンブルもする。常に借金まみれの“クソ”な人間でした」。子供心にも父親の女性関係は明らかで、父親とその愛人と旅行に行ったり、隣の部屋から聞こえる声に苦しめられたりしたこともあった。
母親は、父親が生活費を入れないため、鼻の穴が真っ黒になるまで工場で働き詰めていた。鼠先輩自身も高校生の頃、自宅だけでなく祖母の家にも借金取りが押し寄せ、200万円の返済を迫られ、家中の金目のものが持ち去られるという経験をしている。彼は「俺もやんちゃだったから、俺と母親とで、父親がいる愛人の家に乗り込んで大暴れしたことも数え切れないほどある」と、当時の壮絶な状況を語る。
『六本木〜GIROPPON〜』の大ヒット後、鼠先輩は、ついに父親との関係に終止符を打つ。「俺は父親が作った借金を全て清算して、『もう会いません』とハンコを押しました。絶縁です」。2008年以降、一切会っておらず、電話もしていないという。一度、イベントの楽屋に父親が現れた際も、会うことを拒否した。「恨みが消えることはない」と語る彼の言葉からは、過去への深い感情がうかがえる。この決断は、彼自身の人生を歩むための、ひとつの大きな区切りとなった。
鼠先輩が語る子供時代の貧困と父親との絶縁は、彼の人生に深い影を落としながらも、「今、自分がやりたいことをする」という彼の揺るぎない信念を形成した。彼の壮絶な生い立ちと、過去を清算し、自らの意思で人生を切り開いていく姿は、多くの人々に共感と強いメッセージを与えるだろう。