2025年10月21日、日本に初の女性首相が誕生するという歴史的瞬間が訪れた。高市早苗氏の首相就任は、決して平坦ではない道のりを経て実現したものであり、その背景には激動の政局と彼女自身の長年にわたる政治活動がある。新体制下での「自・維政権」が直面する課題と、高市氏がこれまで歩んできた道のりを深く掘り下げる。
激動の政局:高市氏の総裁選から連立政権樹立まで
大方の予想を覆し、高市早苗氏が自由民主党総裁に選出されたのは10月4日のことであった。この総裁選の結果は、その後の政局に大きな波紋を広げることとなる。総裁選からわずか6日後の10月10日、これまで長きにわたり連立を組んできた公明党が、自民党からの連立政権離脱を通告。これにより、首相指名を巡る権力闘争は一気に激しさを増し、与野党が入り乱れる事態へと発展した。
水面下では様々な政権の枠組みが浮上しては消え、政治の駆け引きが繰り広げられたが、最終的に日本維新の会が自民党の新たな連立パートナーとなることで落ち着いた。しかし、この新しい自民・維新連立政権は、両党間の関係が盤石とは言えず、むしろその不安定性が指摘されている。日本初の女性首相が、この困難な政権運営にどう立ち向かうのか、国内外から注目が集まる。
頂点への道:高市早苗氏の政治家としての足跡
首相の座に上り詰めた高市早苗氏だが、その道のりは足掛け33年に及ぶ政治家としての経験に裏打ちされている。彼女が政治の世界に足を踏み入れたのは1995年。東京・永田町の衆議院第一議員会館の一室で、当時の流行であったミニスカートに身を包み、深く物思いにふける高市氏の姿があった。時は新進党時代、党首選が注目を集める中、次の総選挙で勝利を掴む党の顔は誰なのか、そのことに思いを巡らせていたという。
当時の高市氏は翌年の総選挙で初当選を果たすも、すぐに新進党を離党し、自民党へと移籍。政治家としてのキャリアを着実に築き上げていく。また、政治活動の激務の中、私生活では意外な一面も見せた。1997年10月17日夜、東京・高輪の旧衆議院議員宿舎では、サルのイラストが入ったエプロン姿で大根をおろす彼女の姿があった。食生活が乱れがちなため、週に2〜3回は第一秘書を務めていた弟の分も含めて夕食を作るのが常で、「野菜と魚を取るようにしているんです」と語り、塩サバにトマトを添えた一皿を披露したこともある。
首相指名を受け、貫禄ある表情を見せる高市早苗氏
そして2025年10月21日午後1時47分、内閣総理大臣に指名された瞬間の高市氏は、かつての若かりし頃の姿とは打って変わって、長年の経験と実績に裏打ちされた貫禄すら感じさせるまなざしを見せた。この歴史的瞬間は、日本の政治史に新たな1ページを刻んだ。
結論
高市早苗氏の首相就任は、日本の政治における画期的な出来事であり、性別を問わず、努力と信念が実を結ぶことを示した象徴的な事例と言える。しかし、不安定な「自・維政権」という課題を抱え、彼女が日本の舵取りをどう進めていくのか、その手腕が試されることになるだろう。日本初の女性リーダーとして、高市氏が導く我が国の行く末に、国民の期待と不安が交錯している。
参考文献
- 週刊新潮 2025年10月30日号



