小泉八雲、日本への旅:朝ドラ「ばけばけ」が描く、運命を変えた一人の女性の存在

NHKの朝の連続テレビ小説「ばけばけ」では、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とその妻セツがモデルとして登場し、多くの視聴者の関心を集めています。特に「なぜ八雲は遠く離れた日本にやってきたのか」という疑問は、彼の生涯を理解する上で重要な問いです。実は、その日本への旅の裏には、一人のアメリカ人女性の存在が深く関わっていました。

小泉八雲の肖像。彼が日本へと旅立つきっかけとなった秘められた恋の物語を背景に、その思索に耽る表情が読み取れる。小泉八雲の肖像。彼が日本へと旅立つきっかけとなった秘められた恋の物語を背景に、その思索に耽る表情が読み取れる。

小泉八雲、日本への道筋をたどる:運命を変えた“年下女性”の存在

八雲の日本への来日を決定づけたとされる女性、それがエリザベス・ビスランドです。1861年生まれのビスランドは、八雲よりも11歳年下でした。詩作を愛する文学少女であった彼女は、八雲が新聞に掲載した短編小説『死者の愛』に深く感動し、彼が文芸部長を務めていた新聞社「タイムズ・デモクラット」に入社します。

しかし、二人の関係は常に平等ではなかったとされます。ビスランドは1887年頃にニューヨークへ移り、雑誌『コスモポリタン』の編集者となる傍ら、『アトランティック』や『ノースアメリカン・レビュー』といった一流雑誌に寄稿し、文壇で注目される存在へと成長していきました。

一方で八雲は、当時まだ無名のままで、なかなか芽が出ない時期を過ごしていました。ノンフィクション作家の工藤美代子は、「当時のビスランドにとって、ハーンはたくさんいる崇拝者の一人にすぎなかった」と、その関係性を指摘しています(工藤美代子「ビスランドとハーン 76日間世界一周の女性との交流」『ユリイカ』1995年4月号)。ビスランドの輝かしい成功と、八雲のくすぶる現状が、二人の間に微妙な距離を生み出していたのです。

秘められた恋心:小泉八雲とエリザベス・ビスランドの複雑な関係

八雲は、11歳年下の後輩であったビスランドに対し、深い愛情を抱いていました。友人宛ての手紙には、ビスランドの容姿について「背が高くて色白で、大きな黒い瞳と黒い髪の持ち主です。ある人たちは彼女を美しいといい、他の人たちは可愛いといいます。私はそのどちらかだとも思いませんが、しかし、彼女は間違いなく肉体的にも知的にも魅力があります」と、熱のこもった筆致で書き記しています(工藤美代子「ビスランドとハーン 76日間世界一周の女性との交流」『ユリイカ』1995年4月号)。

これほどの情熱を抱きながらも、八雲がビスランドに直接気持ちを伝えることはありませんでした。16歳の時に事故で失明した左目へのコンプレックス、そして何よりも、自分よりも若く成功している魅力的な女性に告白する勇気を持てなかったのでしょう。この秘めたる恋心は、彼の心の中で複雑な感情となって渦巻いていました。

告白こそしなかったものの、八雲はビスランドに膨大な数の手紙を送り続けました。彼が生涯にわたってビスランドに宛てた書簡の中には、明らかにラブレターと呼べるようなものが数多く含まれています。文才に溢れる八雲は、様々な言葉を駆使して愛情を表現していましたが、その中に隠しきれないほどの「ラブ」が込められていたのです。この叶わぬ恋の苦悩が、彼に新たな地平を求めさせ、遠い日本へと旅立つ一因となった可能性は十分に考えられます。

結論

小泉八雲が遠く日本へと旅立った背景には、単なる異国への憧れだけでなく、エリザベス・ビスランドという一人の女性への秘められた恋心と、それに伴う内面の葛藤があったことがうかがえます。朝ドラ「ばけばけ」が描く八雲の物語は、この複雑な人間関係を通じて、彼がいかにして「日本の心」に魅せられ、その文化を世界に紹介するに至ったのかを深く探る手がかりとなるでしょう。彼の生涯におけるビスランドの存在は、単なる恋愛関係にとどまらず、その後の八雲の文学活動や日本との出会いにも多大な影響を与えた重要な要素と言えます。

参考文献

  • 工藤美代子「ビスランドとハーン 76日間世界一周の女性との交流」『ユリイカ』1995年4月号、青土社