高市早苗氏、日本初の女性首相に就任 – 野田聖子氏との明暗分かれた舞台裏

10月21日、自民党総裁の高市早苗氏が国会の首班指名選挙により第104代内閣総理大臣に選出され、皇居での親任式を経て、日本史上初の女性首相が誕生しました。この歴史的快挙は、なぜ彼女によって成し遂げられたのでしょうか。そして、かつて「初の女性首相」の呼び声も高かった野田聖子衆院議員との間で、何が明暗を分けたのか、その舞台裏に迫ります。

高市新首相、異例の就任会見と連立解消の波紋

親任式を終え、午後10時から就任会見に臨んだ高市新首相は、「国家国民のため、結果を出していく。強い日本を作るため、絶対に諦めない」と力強く述べましたが、その第一声は異例の「お詫び」から始まりました。「新内閣が成立するまでに時間を要したことについて、国民の皆様に心よりお詫びを申し上げます」と高市氏は語りました。

彼女が自民党総裁に選出されたのは10月4日のこと。その直後、26年間連立を組んできた公明党との間で、通常通り連立合意が交わされるはずでした。しかし、公明党の斉藤鉄夫代表は合意に応じず、10日には連立離脱を発表。衆参両院で過半数を占めない自民党にとって他党の協力は不可欠であり、首班指名での選出に向けて協力者探しに奔走することになります。この連立解消劇が、新内閣成立の遅れに直結したのです。

野田聖子氏の「Voicy」投稿が批判の的

執行部が連立相手探しに奔走する最中の10月12日、自民党衆院議員の野田聖子氏が音声プラットフォーム「Voicy」に自公連立解消に関する投稿を行いました。その中で野田氏は、「ついに公明党が自公政権離脱ということになりました。ん〜、私個人は岐阜の活動の中で、とてもフェアに公明党の皆さんと付き合ってきて、対立することもなかったし、癒着もなかった。いい感じで自然体でお付き合いできてきているので、正直、今どう表現していいかよくわからないです。あのぉ……どうなっちゃうんでしょうね。うわぁ〜私もこういう風になるとは想定してなかったんだけど、やっぱりね、人ってコミュニケーションじゃないですか。今回の自民党のトップみたいな人たちは常に、自公でやってきてもアンチの発言が多かったんで。人間ってやっぱり悪口を言われると、言ったほうは忘れちゃう。でも、言われた人は一生忘れないって。そういうのもあったかなぁと思います」と発言しました。

公明党との連立解消に言及し批判を浴びた野田聖子氏公明党との連立解消に言及し批判を浴びた野田聖子氏

党執行部が連立維持に尽力する中で、同じ党に属する議員がこのような発言をしたことは、インターネット上で「正式な方法で選ばれた総裁を批判!離党した方が良いのでは?」「こんな仲間を撃つような人は、いっその事国会議員辞任して欲しいです。」といった批判が殺到する事態となりました。

「初の女性首相」を巡る明暗:高市氏と野田氏の対照

実際、かつては野田聖子氏も「初の女性首相」候補として名前が挙がっていました。しかし、今回の発言に対するネット上のコメントには、「野田聖子が初の総理になれなかったのは、こういうところがあるから。人柄の問題なんだよな。」という指摘も少なくありませんでした。政治部記者の間でも、野田氏のこのような「仲間を撃つ」と見られかねない言動が、彼女の首相への道を阻んだ一因であるという見方が存在します。一方、高市氏は困難な状況下でも国民への責任を果たそうとする姿勢を示し、結果として初の女性首相という歴史的地位を確立しました。この対照的な二人の女性政治家の歩みは、日本の政治におけるリーダーシップとコミュニケーションの重要性を浮き彫りにしています。

参考資料

  • Yahoo!ニュース: 「初の女性首相」高市早苗氏が誕生 初の女性首相になれなかった野田聖子氏との差とは?
  • デイリー新潮: 【貴重写真】“初の女性首相”高市早苗氏が見せた「きわどいボディコンスーツ姿」